大人になりたくない だから 大人を目指す2

先日、「大人になりたくない だから 大人を目指す」という題名で大人(だいにん)という仏教の言葉を紹介しました。
※記事はこちらです。
その中で
大人(だいにん)とは修行ができた人、つまり菩薩様のことであり、仏道修行者をさす言葉です。
と紹介をしました。
しかし、「菩薩様」や「仏道修行者」というと、なんだか大人(だいにん)がすごく遠い存在のようにも感じます。
はたして大人(だいにん)は遠い存在なのでしょうか。
もちろん、違います。
仏教、特に禅では自分自身が仏であり菩薩であると説きます。
そして自分だけでなく周囲の人、さらに全てのいのち仏であり菩薩だと説くのです。
ですから、目指す姿は昔から描かれてきた遠く離れた場所にいる美しい菩薩様でなくても良いのです。
私は大人(おとな)と大人(だいにん)の違いとは何かと考えたときに思い出す光景があります。
話題になりましたし、有名な話しですのでご存じの方も多いかもしれません。
思い出した光景と言うのはサッカー選手のクリスティアーノ・ロナウド選手のインタビューです。
2014年にサッカー選手で実力・人気ともに世界有数のクリスティアーノ・ロナウド選手が来日し、あるイベントに登場しました。
このイベントというのは一般の人が彼にインタビューができるというものです。
この時に、一人の少年がインタビューに臨みました。
1万人を超える応募者の中から選ばれた少年は一生懸命練習したポルトガル語で質問をします。
大勢の大人に囲まれた現場で、しかもあこがれの選手を前に彼は緊張しながらも必死に質問をしました。
しかし、たどたどしい口調に周囲の大人たちから笑いが起こります。大人達も決して彼をバカにしていたわけではありません。大人が無意識に子供を傷つける典型的なあの笑いです。
しかし、ここで反応したのがクリスティアーノ・ロナウド選手でした。ニコニコと少年に向けていた表情を一変させると
「なぜ笑うんだ?上手にポルトガル語を話しているじゃないか」
と会場にいた大人達に声をかけたのです。通訳の方も素早く、彼の言葉を訳すことで大人達は自分達の行為に気がついて静かになりました。
このとき・この瞬間、少年の周囲にいた人間の姿が“おとな”の姿であり、あの瞬間のクリスティアーノ・ロナウド選手の姿が“だいにん”の姿だと私は感じています。
クリスティアーノ・ロナウド選手はサッカー選手としての実力だけでなく、様々な姿を見せてくれるため、人によって彼の印象は違うと思います。
しかし、彼がしてきた努力(精進)と言うものは私達の想像を絶するものであり、その努力があったからこそ周囲に流されることなく(心を乱さない)、少年の努力を感じることができた(正しく考える)のだと思います。
もちろん、サッカーが上手だから菩薩なのではありません。人気があるから菩薩でもありません。今、目の前のことを正しく見ることができるから菩薩であり大人(だいにん)なのです。
ですから、大人(だいにん)になろうと思ったときサッカーの練習をしろということではありません。
坐禅のような様々な良い習慣の中に、自分自身の心と向き合い大人(だいにん)の心をいただいていることを実感する習慣がありますので、ぜひ意識して古くからの習慣とも向き合っていただければ嬉しいです。
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