大人になりたくない だから 大人を目指す

私は小さいころ、大人が嫌いでした。
大人になりたくないと思っていました。
私の中で
大人 は ずるい・ずるがしこい・勝手・嘘つき などなど、ろくでもない存在でした。
「思春期特有の感情」と言われてしまうかもしれませんが、いまだにこの感情は無くなっていません。
中学生の頃に、タバコを吸った同級生を、タバコを吸いながら指導する先生を見たときにも、大人って何なんだろう・・・
と感じたことをよく覚えています。
こういった様々な出来事が重なって私のが完成していったのだと思います。
“大人嫌い”な私にとって、自分自身が“大人”になることに恐怖心もありました。
ですから、私が考えている“大人”には絶対になりたくないと強く思っていました。
しかし、年齢を重ねると嫌でも“大人”として扱われます。“大人”という区分に自分が含まれるたびに「“大人”になりたくない」と心の中でつぶやき続けていました。
そんな私を救ってくれた言葉があります。
それが「大人」です。
“おとな”ではなく“だいにん”と読みます。
大人(だいにん)とは修行ができた人、つまり菩薩様のことであり、仏道修行者をさす言葉です。お釈迦様が亡くなられる際に説いた最後のお経である「遺教経(ゆいきょうぎょう)」にも“おとな”と書いて大人(だいにん)と読む、この言葉が出てきます。
私達が普段使っている”おとな”には知識や経験、年齢などを重ねることで、なることができますが、
もともと仏教で使われていた大人(だいにん)には、仏道修行をすることでなることができるのです。
ちなみにですが、大人(だいにん)になるために仏道修行者が固く守り、自覚すべき八つの徳目(八大人覚:はちだいにんかく)というのがあり、その中には「多くを求めず足ることを知る」「心を調える」「ものごとを正しく見て感じる」ことなどが説かれています。これらを守っていくひとのことを大人(だいにん)と呼んでいたのです。
さらに、これらの八つの実践をする人のことを菩薩と呼ぶのです。
【八大人覚:はちだいにんかく】
・少欲(多くの利を求めない)
・知足(足ることを知る)
・寂静(静かなところに住す)
・精進(進んで努力して退かない)
・不忘念(法を守り忘れない)
・禅定(心を乱さない)
・修智慧(智慧を修める)
・認識(正しく考える)
私は、大人(おとな)と書いて”だいにん”と読むこと、そしてこの大人(だいにん)が仏道修行者をさす言葉だと知ってからは、”おとな”ではなく”だいにん”を目指していこうと考えることができるようになりました。
以前は人に”おとな”に見られることが嫌でたまりませんでしたが、”だいにん”を知ってからは、本来の”おとな”とは八大人覚を大切する人を示す言葉であり、自分自身が”だいにん”を目指す人として”おとな”の中にいると考えることができるようになりました。
すると、”おとな”の区域に入れられた自分を納得させることができるようになりました。
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