オンライン坐禅会のことが40年以上前の冊子に書いてありました。
オンライン坐禅会のことが40年以上前の記事に書いてありました。
その記事がこちらです。

この記事が書かれた機関紙を発行しているのが臨済宗青年僧の会です。
私も臨済宗青年僧の会にに携わらせていただき、約10年が経とうとしています。
臨済宗青年僧の会とは、その名の通り臨済宗の若い僧侶の会であり、勉強会を開催したり、学んだことを発信する機関紙を発行したりしています。
この中で私も様々な企画に携わってきました。
臨済宗青年僧の会では機関紙の発行だけでなく現在はオンライン坐禅会も開催していますが、先日40年以上の前の機関紙に書かれた言葉に目がとまりました。
その言葉は機関紙の創刊号(昭和55発行)の表紙に書かれていました。
竹中玄鼎師は当時の臨済宗を引っ張っていく和尚様であり、その和尚様が若い僧侶(青年僧)に対して
坐禅に取り組み、坐禅三昧の日々を過ごすことは独りの力では簡単なことではない。
自ら坐禅するために同志を募り、組織を作って、その組織の強制力で、自分を律して1人であっても、行いを慎み雑念の起こらないようにするような仕組みが必要なのではないか。
と書かれています。
まさに、オンライン坐禅会に携わる私のことを書いているように感じます。
私の場合、自分1人では坐禅を続けようとしてもなかなか続きません。
しかし、臨済宗青年僧の会という組織の中でオンライン坐禅会に携わることで、簡単にはさぼれなくなり、結果として1人であっても坐禅をすることができているように感じます。
40年前のこの提言に触れたとき、オンライン坐禅会が自分の生活を律してくれていることを改めて実感することができましたし、
これからもオンライン坐禅会に携わることで「慎独」の生活を大切にしていきたいと考えています。
その記事がこちらです。

この記事が書かれた機関紙を発行しているのが臨済宗青年僧の会です。
私も臨済宗青年僧の会にに携わらせていただき、約10年が経とうとしています。
臨済宗青年僧の会とは、その名の通り臨済宗の若い僧侶の会であり、勉強会を開催したり、学んだことを発信する機関紙を発行したりしています。
この中で私も様々な企画に携わってきました。
臨済宗青年僧の会では機関紙の発行だけでなく現在はオンライン坐禅会も開催していますが、先日40年以上の前の機関紙に書かれた言葉に目がとまりました。
その言葉は機関紙の創刊号(昭和55発行)の表紙に書かれていました。
坐禅を相続することも独りの力では困難である。自ら坐禅するために同志を募り、組織を作って、その組織の強制力で、却って「慎独」の生活が相続し得るというような仕組みが必要なのではないか。
巻頭ページ 竹中玄鼎師「青年僧の課題」より
※1相続:「三昧」の心をいつも持ち続けること。その事に純一であること
※2慎独【しんどく】:1人であっても、行いを慎み雑念の起こらないようにすること。
竹中玄鼎師は当時の臨済宗を引っ張っていく和尚様であり、その和尚様が若い僧侶(青年僧)に対して
坐禅に取り組み、坐禅三昧の日々を過ごすことは独りの力では簡単なことではない。
自ら坐禅するために同志を募り、組織を作って、その組織の強制力で、自分を律して1人であっても、行いを慎み雑念の起こらないようにするような仕組みが必要なのではないか。
と書かれています。
まさに、オンライン坐禅会に携わる私のことを書いているように感じます。
私の場合、自分1人では坐禅を続けようとしてもなかなか続きません。
しかし、臨済宗青年僧の会という組織の中でオンライン坐禅会に携わることで、簡単にはさぼれなくなり、結果として1人であっても坐禅をすることができているように感じます。
40年前のこの提言に触れたとき、オンライン坐禅会が自分の生活を律してくれていることを改めて実感することができましたし、
これからもオンライン坐禅会に携わることで「慎独」の生活を大切にしていきたいと考えています。
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