オンライン坐禅会 法話原稿 【仏は永久に】
突然ですが問題です。
臨済宗中興の祖と言われ、江戸中期の禅僧で
『駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠』
とまで謳われた白隠禅師のお墓はどこにあるでしょうか?
1.龍澤寺(静岡県三島市) 白隠禅師の弟子の東嶺禅師によって創建されたお寺で、現在も多くの修行僧が修行するお寺。
2.松陰寺(静岡県沼津市) 白隠禅師が出家し、後に住職をしたお寺。
3.無量寺(静岡県富士市) 竹取物語の伝承地と言われる場所にあった白隠禅師が住職をしたお寺。今はお寺がない
答えは 全部です。



ひっかけ問題みたいな形になって申し訳ありません。
実は、この1から3の順番は、あるお坊さんの勉強会で白隠禅師について学ぶ際に地元の和尚様が考えたコースです。
この3つのお寺を巡りそれぞれのお墓の前で読経した後に、各お寺で白隠禅師のことを学びました。
私は、初めてこの勉強会のことを知ったとき
、
「え、3つもお墓参りするの?1つでよいのでは!?」
と不謹慎にも考えてしまいました。
しかし、そうではありませんでした。
どこのお墓へ行っても、全てのお墓がしっかりと掃除されており、今でも多くの方がお墓を守ってくださっていると実感することができました。
そのため、どこのお墓の前で読経をさせていただいても、
「あ、ここに白隠禅師がいてくださる。」
と感じ、同時に
「白隠禅師の教えを学ばせていただいていることは有難いことなのだ」
と感じることができました。
計画してくださった和尚様も私達が頭では
「白隠禅師の教えを学んでいる、受け取っている」
と分かっているが、それだけではなく、心から実感をして欲しいとの想いから3か所のお墓参りを企画してくださったのだと思います。
仏教聖典に
人びとはみな、仏は王子として生まれ、出家してさとりを得たのだと信じているけれども、実は仏と成ってよりこの方、限りのない時を経ている。
限りない時の間、仏は常にこの世にあり、永遠の仏として、すべての人々の性質を知り尽くし、あらゆる手段を尽くして救ってきた。
とあるように、私達はついつい
仏 = お釈迦様
と思ってします。もちろん、間違いではありません。
しかし、 あくまでも
仏 = 悟った人
であり、お釈迦様だけが”仏”ではありません。
しかも、”仏”になるために種は、誰もが平等にいただいている尊い心なのです。
私達はついつい、このことを忘れてしまうのです。だからこそ仏教聖典では
仏は常にこの世にあり
あらゆる手段を尽くして救ってきた
と示してくださっているのです。
白隠禅師のお墓の前で私達は白隠禅師 坐禅和讃をお唱えしました。
その冒頭部分は
衆生本来仏なり
私達は生まれたときから仏様のような尊い心をいただいている
と始まります。
いま、こうしている瞬間も、私達は私達自身の仏様のような尊い心に救われています。
もちろん、煩悩にまみれてしまって本来の尊い心を見失った状態では救うことはできませんが、坐禅をすること調えられた心に私達はすでに救われているのです。
このことを覚えておいていただきながら、これからも皆様が坐禅を続けていかれることを願っています。
臨済宗中興の祖と言われ、江戸中期の禅僧で
『駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠』
とまで謳われた白隠禅師のお墓はどこにあるでしょうか?
1.龍澤寺(静岡県三島市) 白隠禅師の弟子の東嶺禅師によって創建されたお寺で、現在も多くの修行僧が修行するお寺。
2.松陰寺(静岡県沼津市) 白隠禅師が出家し、後に住職をしたお寺。
3.無量寺(静岡県富士市) 竹取物語の伝承地と言われる場所にあった白隠禅師が住職をしたお寺。今はお寺がない
答えは 全部です。



ひっかけ問題みたいな形になって申し訳ありません。
実は、この1から3の順番は、あるお坊さんの勉強会で白隠禅師について学ぶ際に地元の和尚様が考えたコースです。
この3つのお寺を巡りそれぞれのお墓の前で読経した後に、各お寺で白隠禅師のことを学びました。
私は、初めてこの勉強会のことを知ったとき
、
「え、3つもお墓参りするの?1つでよいのでは!?」
と不謹慎にも考えてしまいました。
しかし、そうではありませんでした。
どこのお墓へ行っても、全てのお墓がしっかりと掃除されており、今でも多くの方がお墓を守ってくださっていると実感することができました。
そのため、どこのお墓の前で読経をさせていただいても、
「あ、ここに白隠禅師がいてくださる。」
と感じ、同時に
「白隠禅師の教えを学ばせていただいていることは有難いことなのだ」
と感じることができました。
計画してくださった和尚様も私達が頭では
「白隠禅師の教えを学んでいる、受け取っている」
と分かっているが、それだけではなく、心から実感をして欲しいとの想いから3か所のお墓参りを企画してくださったのだと思います。
仏教聖典に
人びとはみな、仏は王子として生まれ、出家してさとりを得たのだと信じているけれども、実は仏と成ってよりこの方、限りのない時を経ている。
限りない時の間、仏は常にこの世にあり、永遠の仏として、すべての人々の性質を知り尽くし、あらゆる手段を尽くして救ってきた。
とあるように、私達はついつい
仏 = お釈迦様
と思ってします。もちろん、間違いではありません。
しかし、 あくまでも
仏 = 悟った人
であり、お釈迦様だけが”仏”ではありません。
しかも、”仏”になるために種は、誰もが平等にいただいている尊い心なのです。
私達はついつい、このことを忘れてしまうのです。だからこそ仏教聖典では
仏は常にこの世にあり
あらゆる手段を尽くして救ってきた
と示してくださっているのです。
白隠禅師のお墓の前で私達は白隠禅師 坐禅和讃をお唱えしました。
その冒頭部分は
衆生本来仏なり
私達は生まれたときから仏様のような尊い心をいただいている
と始まります。
いま、こうしている瞬間も、私達は私達自身の仏様のような尊い心に救われています。
もちろん、煩悩にまみれてしまって本来の尊い心を見失った状態では救うことはできませんが、坐禅をすること調えられた心に私達はすでに救われているのです。
このことを覚えておいていただきながら、これからも皆様が坐禅を続けていかれることを願っています。
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