精進料理に学ぶ 丸茄子
昨日の記事で講座「写経と精進料理」を紹介させていただきました。
※記事はこちらです。

全福寺御住職の精進料理はどれも美味しいものばかりで、いつも有難くいただいています。
全ての料理がおいしいのですが、その中でも印象に残った料理について、講座終了後に質問をさせていただきました。
その一つが、

お品書きに「丸茄子 ししとう 田楽味噌」と書かれたこちらの料理でした。
とても大きな丸茄子が、形が崩れることなく田楽味噌とししとうを支えています。
食べてみると、大きさや形からは良い意味で予想を覆されるほどとても柔らかく美味しかったです。
終了後に
「あの茄子は、なぜあんなに柔らかいのですか? そういった茄子の種類ですか?それとも料理方法ですか?」
と質問すると
「揚げた後に、蒸しています。そうすることで柔らかくなるし、余分な油も落ちて美味しくなります。」
と教えてくださいました。
この「揚げてから蒸す」という工程に驚くと共に、だからこそ形は崩れない強さがあるのに、中身はとても柔らかい素晴らしい食感になっていると納得することができました。
また、同時にこの茄子の料理に「坐禅」を感じます。
坐禅を表現する言葉に「安楽の法門【 あんらく の ほうもん 】」という言葉あります。
安楽とは「心身の苦痛や生活の苦労がなく、楽々としていること。」であり、
法門とは「仏の教への道」です。
つまり、「安楽の法門」と表現される坐禅とは「心も体も楽にしてくれる仏様の教えの実感方法」と言えるのです。
この言葉を初めて聞いたとき
「坐禅は足が痛くなるばかりで、全然気持ちよくならない! 何か安楽だ!!!」
と感じました。
しかし、実際に坐禅を続けていくと、しっかりと体を固めて動かない中に内部や心の柔らかさを実体験することができ、おぼろげながら「心も体も楽にしてくれる」を体感することができます。
先ほど紹介した茄子料理は一度揚げることで、崩れることがない周囲の強度を生み出したうえで、蒸すと言う工程で中を徹底的に柔らかくしています。
坐禅も足や背中などの型をがっちりと固めた上で、呼吸を調えることで体の中や心を柔らかくしていきます。
見事な茄子の精進料理と坐禅には共通するものがあるようです。
※記事はこちらです。

全福寺御住職の精進料理はどれも美味しいものばかりで、いつも有難くいただいています。
全ての料理がおいしいのですが、その中でも印象に残った料理について、講座終了後に質問をさせていただきました。
その一つが、

お品書きに「丸茄子 ししとう 田楽味噌」と書かれたこちらの料理でした。
とても大きな丸茄子が、形が崩れることなく田楽味噌とししとうを支えています。
食べてみると、大きさや形からは良い意味で予想を覆されるほどとても柔らかく美味しかったです。
終了後に
「あの茄子は、なぜあんなに柔らかいのですか? そういった茄子の種類ですか?それとも料理方法ですか?」
と質問すると
「揚げた後に、蒸しています。そうすることで柔らかくなるし、余分な油も落ちて美味しくなります。」
と教えてくださいました。
この「揚げてから蒸す」という工程に驚くと共に、だからこそ形は崩れない強さがあるのに、中身はとても柔らかい素晴らしい食感になっていると納得することができました。
また、同時にこの茄子の料理に「坐禅」を感じます。
坐禅を表現する言葉に「安楽の法門【 あんらく の ほうもん 】」という言葉あります。
安楽とは「心身の苦痛や生活の苦労がなく、楽々としていること。」であり、
法門とは「仏の教への道」です。
つまり、「安楽の法門」と表現される坐禅とは「心も体も楽にしてくれる仏様の教えの実感方法」と言えるのです。
この言葉を初めて聞いたとき
「坐禅は足が痛くなるばかりで、全然気持ちよくならない! 何か安楽だ!!!」
と感じました。
しかし、実際に坐禅を続けていくと、しっかりと体を固めて動かない中に内部や心の柔らかさを実体験することができ、おぼろげながら「心も体も楽にしてくれる」を体感することができます。
先ほど紹介した茄子料理は一度揚げることで、崩れることがない周囲の強度を生み出したうえで、蒸すと言う工程で中を徹底的に柔らかくしています。
坐禅も足や背中などの型をがっちりと固めた上で、呼吸を調えることで体の中や心を柔らかくしていきます。
見事な茄子の精進料理と坐禅には共通するものがあるようです。
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