オンライン坐禅会 法話原稿 【苦難に耐える】
それは、法話(仏教・禅の話)をする際に、体験談を入れることです。
法話には起承転結【きしょうてんけつ】が大切だと教わり、
起:話し全体の紹介
承:主題となる言葉などの説明
転:例話など主題をわかりやすく説く
結:まとめ
と、考えると話は作りやすくなるとも聞いています。
そこで、基本的には起承転結を考えて法話を考えます。
その後、あえて起承転結の順番を変えて転→起→承→結と話すこともあります・・・
法話を考えるときに頭を悩ますのが「転」の例話です。
私は詩や歌などを理解する力はありませんし、
妻から「感情をこめて話をするのが苦手だよね。淡々と説明をされているみたい」と言われることもあるほど、臨場感や感情をこめて話すことが苦手なので、他の人の体験談を話そうとすると、どうしても「よそよそしさ」が前面に出てしまい、話が伝わりにくくなってしまいます。
そこで、自分に課したルールが「自分の体験談を入れる」というものです。
しかし、仏教聖典の【苦難に耐える】を読むと、このようなルールは必要なかったのかもしれないと感じます。

その話とは
昔、真実を求める修行者がいた。ただ迷いを離れる教えを求めて、そのほかは何も求めるものがなく、地上に満ちた財宝はもとより、神の世界の栄華さえ望むところではなかった。
神はこの行者の行いに感動し、その心のまことを試そうと鬼の姿となって現われ、
「ものみなはうつり変わり、現われては滅びる。 」と歌った。
修行者はこの歌声を聞き喜んで、これこそ本当の教えであると思い、鬼に
「先ほどの詩はおまえの歌ったものか。もしそうなら、続きを聞かせてもらいたい。 」
と願った。
鬼は答えた。
「そうだ、それはわたしの詩だ。しかし、わたしはいま飢えているから、何か食べなくては歌うことができない。 」
修行者は、続きの詩を聞かせてもらえるならば、聞き終わってから、自分の身を与えるであろうと約束した。
鬼はそこで、残りを歌い、詩は完全なものとなった。それはこうである。
「ものみなはうつり変わり、現われては滅びる。生滅にとらわれることなくなりて、静けさと安らぎは生まれる。」
修行者はこの詩を木や石に彫りつけ、 やがて木の上にのぼり、 身をおどらせて鬼の前に投げ与えた。 その瞬間、 鬼は神の姿にかえり、 修行者の身は神の手に安らかに受けとめられた。
と言うものです。
私はこの話を皆様に紹介するときにも「何か例話はないものか」と悩みました。
なぜ、悩むのか・・・
自分の決めたルールに従おうとしていたからです。
「体験談を入れた方が話は伝わりやすい」という思い込みがあったからです。
しかし、これこそが鬼の姿をした神が説いた
生滅にとらわれることなくなりて、静けさと安らぎは生まれる
の反対を行く行動です。
生滅とは”生まれることと死ぬこと“ですが、”生まれること 死ぬことを含めて全てのものごと“と言い換えることができると考えています。
つまり、
生滅にとらわれることなくなりて、静けさと安らぎは生まれる
は
何事にもとらわれることがなくなった状態を 心が調うと言う
と言うことができるのです。
仏教聖典の逸話を紹介しようと考えたときに、自分のルールに縛られてしまったために、これほどまでに分かりやすい例話を見失って心が乱れている私に「とらわれることなくなりて、静けさと安らぎは生まれる」という教えが私に静かに語りかけてくれているように感じます。
この逸話に出てくる修行者のように全てのもの捨て去ることは簡単ではありません。
しかし、人生の中で知らず知らずのうちに身に付けてしまった”とらわれ”とも呼ばれるものを私達は少しずつでも捨てていかなければなりません。
その手助けとなるのが坐禅です。
臨済宗妙心寺派の生活信条に
1日1度は静かに坐って 身体と呼吸と心を調えましょう
とあるように、静かに坐ることで心が調ってまいります。その瞬間こそが”とらわれ”を捨てた瞬間であり、この瞬間を重ねていくことが大切です。
どうか、これからも機会を見つけて静かに坐る実践を続けていただけることを祈っています。
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