ケンタッキーフライドチキン と 「成りきること」
昔、食が細かった亡き祖母からどうしても食べたい物があると言われ
・かしわの天ぷら
・天満駅にある
・店の大将が外人さん
・テレビで見る
・辛いのもある
と言うヒントを車椅子の準備をしながら聞き、無事正解のケ〇タッキーに連れて行った私は孫の鏡やったなと思います。
と言うものです。

前半部分を読んだとき、私の頭の中に描かれた映像は
「祖母」・「天ぷら」という言葉に引きずられて
昔ながらの古い建物の中で、外国の方が天ぷらを揚げている
映像でした。しかし、答えはケンタッキー!!
驚きましたが、同時に盛永宗興老師の
禅の修行のなかで「成り切れ」とよく言います。では、「成り切る」とは?
修行僧は、この[成り切れ一を勘違いして役者が演じる芝居をすることと思ってしまう。
「成り切る」とは、自分がそれを演じることではなく、「自分というものがなくなってしまい、相手が自分の中にいっぱいになること」です。
人にしろ、異国の文化にしろ、自分が出かけて行って理解するというのではなく、自分が白紙になることによって、それがそのままに受け入れられてくるのが成り切るということです。
という言葉を思い出しました。
おばあちゃんをケンタッキーに連れて行ったお孫さんは、ヒントをもとに答えを考えるのではなく、まさにおばあちゃんに成り切ったのだと思います。
”自分の経験や知識”をいったん捨てることができたからこそ、おばあちゃんの言葉(ヒント)を素直に受け入れることができたように感じます。
そして、そのことによって、おばあちゃんの求めていたものが分かったのです。
このお孫さんのように自分の経験や知識を捨てること(いったん置いておく)は簡単ではありません。
しかし同時に不可能でもありません。
その方法のひとつが。坐禅です。
身体を調え、呼吸を調えることで、自然と心が調ってまいります。この調った心こそが、”自分の経験や知識”をいったん捨てた状態”とも言えるのです。
坐禅はけっして我慢大会ではありません。
身体と呼吸と心を調えるものです。
少しでも多くの方に、このことを知っていただき、自分の経験や知識を捨てること(いったん置いておく)体験をしていただければ嬉しいです。
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