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昔話シリーズ その27 竹取物語 【9:月に帰りたがらないかぐや姫】


この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。





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昔話シリーズ【27】 竹取物語 【9:月に帰りたがらないかぐや姫】




自分を信じること。それは自信を持つというより、自信がない自分も、弱い自分も受け入れるということ。



という言葉を聞いたとき、私は「自信」について大きな勘違いをしていたと感じました。




竹取物語・かぐや姫の話しから学ぶことをまとめています。

これまでに
1:仏の光明
2:切った竹から金
3:仏様が使った食器
4:蓬萊の玉の枝
5:火鼠の皮衣
6:龍の首の珠
7:燕の子安貝
8:帝にも嫁がない
と、紹介してきました。
※クリックすると記事をご覧いただけます。




今回は、竹取物語のクライマックスの始まりの部分を紹介します。


ある日かぐや姫は「月に帰らなくていけないが、月に帰りたくない」と泣くのです。


翁(おじいさん)が話を聞くとかぐや姫は


・元々 月の人間で月からやってきた

・月は”老い”や”悲しみ”のない世界

・だけど、育ててくれた翁(おじいさん)を見届けることなく月に帰りたいとは思わない


と、話したのです。



人は成長が止まったことを実感すると年老いていくことを嫌います。


子供の頃は少しでも早く大人になりたいと願うものですが、ある程度の年になると、若返りたい、せめて今の状態を保ちたいと願います。


「私はまだ子供だからそんな気持ちがわからない」


と、言う人もいるかもしれません。


しかし、そんな人でもテストに向けて一生懸命勉強して成長したのに、勉強したことを忘れてしまいたいとは思わないのではないでしょうか。


若返りたい、せめて今の状態を保ちたいという気持ちは、衰えたくないと感じるごく自然の姿であり、若いからそのような気持ちがないということはありません。


しかし、かぐや姫は衰えることのない世界へは帰りたくないと言うのです。


この部分が意味することは


ただ、翁(おじいさん)との別れが悲しいと言うことを表しているとは思えません。




仏教では「月」は尊いもの例えとしてよく出てきます。


それこそ、迷いのない世界を表すこともあります。


しかし、かぐや姫はこの世界へ行きたいとは思わないのです。


これは、老いることや悲しみから逃れることができないこと、さらに老いや悲しみを受け入れることの大切さを伝えてくれているのです。



私達は生きている以上、老いや悲しみを避けることは避けることができません。


しかし、時間はかかりますが老いや悲しみを受け入れることはできます。


それが


自分を信じること。それは自信を持つというより、自信がない自分も、弱い自分も受け入れるということ。


ということです。


簡単なことではありません。


しかし、私達は成功体験だけでなく失敗などの経験を通して


「あ、このままで良いんだ!」


と、ありのままの自分を受け入れることができる瞬間が必ずあります。



このことは簡単なことではありませんが、大切なことなのだと竹取物語は伝えてくれているように感じます。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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