昔話シリーズ その22 竹取物語 【4:蓬萊の玉の枝】
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。

昔話シリーズ【22】 竹取物語 【4:蓬萊の玉の枝】
「坐禅は良いものだ」と話を聞いたり、本で読んでも実際にやってみなければ良さは実感できません。
速く走るコツを聞いただけで速く走れるようにはなりません。実際に練習を繰り返すから速くなります。
当たり前のことですが、ついつい忘れてがちのことを、かぐや姫は”蓬萊の玉の枝“を使って教えてくれているのかもしれません。
竹取物語・かぐや姫の話しから学ぶことをまとめています。
これまでに
1:仏の光明
2:切った竹から金
3:仏様が使った食器
と、紹介してきました。
※クリックすると記事をご覧いただけます。
今回も、かぐや姫が結婚を申し込んできた男に突き付けた難問について紹介をします。
前回は「仏様が使った食器」でしたが、かぐや姫は結婚を申し込んできた別の男に「蓬萊の玉の枝」を要求しています。
蓬萊【ほうらい】とは仙人の住む場所です。
つまり蓬萊の玉の枝とは、仙人が住むと言われる場所にある宝石のような美しい玉がなる木の枝ということになります。
蓬萊の玉の枝を持ってきて欲しいと言われた男は困ってしまいます。
男はそんなものは探しても見つかるはずがないと考えます。
そこで、職人に蓬萊の玉の枝(ニセモノ)を作らせたのです。
男は職人が長い月を重ねて作り上げた蓬萊の玉の枝を持ってかぐや姫のもとを訪ねます。
そして改めて結婚の申し込みをするのですが、そこに蓬萊の玉の枝を作った職人が料金の請求に来たため嘘をついていたことがばれてしまうのです。
この部分では、「嘘は良くない」と教えてくれていますが、それだけではありません。
仙人が済む場所を蓬莱と言っていますが、仙人とはどういう人のことでしょう。
修行をして、神に近い存在になった者たちを仙人と呼んでいます。
と、考えるならば修行をして悟りを開かれたお釈迦様を仙人と例えることもできます。
前回の記事でも書いた通り、
お釈迦様は仏教の最初の和尚様です。
仏教では「命あるもの、みんなに仏様(お釈迦様)と同じような尊い心がある」と説き、「その心に気がつきなさい!!」と説いています。
その心に気がついた人こそが仏様であり、お釈迦様なのです。
そして同じように修行をすることでお釈迦様と同じように尊い心を実感しようとしているのが今を生きている私達です。
では、かぐや姫に「蓬萊の玉の枝」と言われたときどうすればよかったのでしょうか。
蓬莱が仙人の住む場所なのですから、自分が仙人となれば、今・ここが蓬莱となるのです。
今・ここが蓬莱ならば、そこに落ちている枝が蓬萊の玉の枝となるのです。
つまり、「命あるもの、みんなに仏様(お釈迦様)と同じような尊い心がある」という仙人(仏)の心になりきり、落ちている枝を指し示すことをかぐや姫は待っていたのかもしれません。
白隠禅師坐禅和讃の中にも
衆生近きを知らずして
【私達自身が仏なのに】
遠く求むるはかなさよ
【遠くに仏を探すのはもったいないことです】
浄土即ち遠からず
【今・こここそが浄土であり、極楽です】
当処即ち蓮華国
【「ここ」こそが極楽であります】
とあります。枝を遠くに探しに行ったり、ましてや偽物を作るのではなく、自分自身が仏だと実感することで、この場所が極楽浄土であり蓬莱になると説いています。
私達はこのことを頭では分かっているのですが、なかなか実体験をすることができません。
「坐禅は良いものだ」と話を聞いたり、本で読んだだけで分かった気になって満足してしまうのです。
これはまるで偽物の蓬莱の球の枝を作らせるようなものです。
実際にやってみることで坐禅の良さを実感するように、大切な教えや習慣を実践していくことの大切さも「蓬莱の球の枝」を使ってかぐや姫が今を生きる私達に教えてくれいるのです。
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