昔話シリーズ その19 竹取物語 【1:仏の光明】
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。

昔話シリーズ【19】 竹取物語 【1:仏の光明】
竹取物語・かぐや姫の話しは有名です。
・おじいさんが竹を取りに行くと、一本の光る竹を発見する
・その竹を切ると小さな女の子がいた
・女の子は美しい女性へと成長する
・多くの男が結婚を申し込むが、無理難題を言って断る
・かぐや姫はおじいさんに「自分は月から来た、月に帰らなくてはいけない」と話した
・おじいさんは何とかしようとするが、かぐや姫は月に帰っていく。
と言った内容です。
日本最古の物語とも言われる竹取物語にも多くのことを学ぶことができます。
今回は竹取物語の冒頭部分を紹介します。
竹の中からかぐや姫を見つけたおじいさんは、喜んで家に連れて帰ります。
物語の中ではこの部分を
家の中が隅から隅まで光り輝きました。翁(おじいさん)にはこの子を見るのが何よりの薬で、また何よりの慰みでした。
と書いてあります。
かぐや姫を連れて帰ると家の中が隅から隅まで光ったと言うのです。この部分を読んだとき私は「仏の光明」という言葉を思い出しました。
お釈迦様の教えをまとめた仏教聖典に
仏を念ずる者は、常に仏の光明におさめられ、また自然に仏の香気に染まる。
世に仏を信ずることほど大きな利益【りやく】をもたらすものはない。 もしただ一度だけでも仏の名を聞いて、 信じ喜ぶならば、 この上ない大きな利益を得たものといわなければならない。
とあるのです。
ただし、仏の光明は外から照らさせるものではありません。
竹の中からかぐや姫が出てきたように、私達を照らす仏の光明は私達の中から出てきます。
毎日、毎日おじいさんが竹やぶに竹を切りに行って光り輝く竹を見つけるのと同じように、
私達も毎日坐禅をしたりお参りをしたりすることで、心を調えることで、光り輝く仏の心を自分の中に見つけることができるのです。
竹取物語・かぐや姫の冒頭部分を読んだときに、光り輝くかぐや姫が家中を照らすように、私達の中にある尊い心が私達自身を照らすことを思い出していただければ幸いです。

昔話シリーズ【19】 竹取物語 【1:仏の光明】
竹取物語・かぐや姫の話しは有名です。
・おじいさんが竹を取りに行くと、一本の光る竹を発見する
・その竹を切ると小さな女の子がいた
・女の子は美しい女性へと成長する
・多くの男が結婚を申し込むが、無理難題を言って断る
・かぐや姫はおじいさんに「自分は月から来た、月に帰らなくてはいけない」と話した
・おじいさんは何とかしようとするが、かぐや姫は月に帰っていく。
と言った内容です。
日本最古の物語とも言われる竹取物語にも多くのことを学ぶことができます。
今回は竹取物語の冒頭部分を紹介します。
竹の中からかぐや姫を見つけたおじいさんは、喜んで家に連れて帰ります。
物語の中ではこの部分を
家の中が隅から隅まで光り輝きました。翁(おじいさん)にはこの子を見るのが何よりの薬で、また何よりの慰みでした。
と書いてあります。
かぐや姫を連れて帰ると家の中が隅から隅まで光ったと言うのです。この部分を読んだとき私は「仏の光明」という言葉を思い出しました。
お釈迦様の教えをまとめた仏教聖典に
仏を念ずる者は、常に仏の光明におさめられ、また自然に仏の香気に染まる。
世に仏を信ずることほど大きな利益【りやく】をもたらすものはない。 もしただ一度だけでも仏の名を聞いて、 信じ喜ぶならば、 この上ない大きな利益を得たものといわなければならない。
とあるのです。
ただし、仏の光明は外から照らさせるものではありません。
竹の中からかぐや姫が出てきたように、私達を照らす仏の光明は私達の中から出てきます。
毎日、毎日おじいさんが竹やぶに竹を切りに行って光り輝く竹を見つけるのと同じように、
私達も毎日坐禅をしたりお参りをしたりすることで、心を調えることで、光り輝く仏の心を自分の中に見つけることができるのです。
竹取物語・かぐや姫の冒頭部分を読んだときに、光り輝くかぐや姫が家中を照らすように、私達の中にある尊い心が私達自身を照らすことを思い出していただければ幸いです。
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