恨みを忘れることは難しい

初めての夫婦喧嘩を覚えていますか?
私は覚えています。
些細な行き違いから言い争いになってしまいました。
その後、そのことで何度も言い争いになることもなく長い年月が経過しました。
その喧嘩のことをふとしたきっかけで14年ぶりに思い出し、妻に「そういえば、こんなことがあったね」と話すと、
「そんなこと忘れればいいのに」
と言われました。
確かにその通りです。忘れた方が良いはずです。
でも、なかなか忘れることはできません。
このことは「恨み」という程のことではありません。しかし、記憶からなくすことはできません。
だとすれば、誰かに何かをされた「恨み」など消えることがないと改めて実感をしました。
仏教聖典の中に「恨み」について説かれた部分があります。
昔、国同士の戦争があった。
その際に王様は敵に捉えられたが、王子だけは幸いにして逃れることができた。
王が刑場の露と消える日、王子は父の命を救う機会をねらったが、ついにその祈りもむななく、無念に泣いて父の哀れな姿を見守っていた。
王は王子を見つけて、
「長く見てはならない。短く急いではならない。恨みは恨みなきによってのみ静まるものである。 」
と、ひとり言のようにつぶやいた。この後王子は、ただいちずに復讐の道をたどった。機会を得て王家にやとわれ、王に接近してその信任を得るに至った。
ある日王様が寝ているときに、いまこそ時が来たと王子は刀を抜いて王の首に当てたが、その刹那父の臨終のことばが思い出されて、いくたびか刺そうとしたが刺せずにいるうちに、突然王は目を覚ました。
王子は王を押さえて刀を振りあげ、今こそ長年の恨みを晴らす時が来たと言って名のりをあげたが、またすぐ刀を捨てて王の前にひざまずいた。
王は臨終のことばを聞いて大いに感動し、 ここに互いに罪をわびて許しあい、王子にはもとの国を返すことになり、その後長く両国は親睦を続けた。
という話です。

恨みはもとより恨みによって静まるものではなく、恨みを忘れることによってのみ静まる。
大切な言葉です。
しかし、実践することがこれほど難しい言葉もあまりありません。
つらい出来事があったときに、私はどうしても「恨み」の心を持ってしまいます。
忘れることもできません。
妻との何気ない言い争いも14年たってもふとしたきっかけで思い出します。
これが大きな恨みだとしたら一生かけても忘れることができません・・・
しかし、「忘れろ」と説かれている。
どうしたら良いのでしょうか。
妻との口論を「14年間覚えていた。」と表現しましたが、「ずっと覚えていた」わけではありません。
ほとんど忘れていました。
なんとか(!?)妻とも仲良く(!?)やってきました。
・・・私が思っているだけかもしれませんが、
恨みを忘れるには
まずは、「ずっと覚えている」から離れることが大切です。
ふとしたきっかけで思い出すかもしれませんが、きっかけがないときには忘れることができています。
臨済宗妙心寺派の生活信条に
一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう
人間の尊さにめざめ 自分の生活も 他人の生活も大切にしましょう
生かされている自分を感謝し 報恩の行を積みましょう
とあります。
これらを実践している時に「恨み」を覚えておくことは難しいものです。
もちろん、静かに坐ることで思い出してしまうこともあります。
しかし、同時に静かに坐っている時には思い出しと事を「そっと横に置いておく」という心の練習ができます。
これらの時間を積み重ねていくことが「恨みを忘れる」ということなのかもしれません。
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