人生はカーブが続くトンネルなのかもしれない

1週間前から歯磨き粉がなくなりそうです。
使おうと思い歯ブラシに出すと「ブホッ」という音と共に歯磨き粉が出てきます。
「あ~、終わってしまった」
と思うと同時に、すぐに捨てずに「まだ出るかもしれない!?」と歯磨き粉を洗面台に立てて放置してしまいます。
しかし不思議なもので、前回全てを出し尽くしたような顔をした歯磨き粉なのに、次に使おうと試しに歯ブラシに出してみると・・・
「ブホッ」という音と共に歯磨き粉が出てきます。
今度こそは使い終わったと思うのですが・・・
次に使おうとすると、また「ブホッ」という音と共に歯磨き粉が出てきます。
そんなことを1週間ほど繰り返すと、いよいよ出てこなくなります。
しかし不思議なもので、試しに歯磨き粉の容器のフタをして勢いよく振ると・・・
「ブホッ」という音と共に歯磨き粉が出てきます。
「もう残っていない」と思っても次々に出てくる歯磨き粉に感動しています。
必要なものが出てくるのは嬉しいのですが、同じような形で私達の心から出てくる迷いや苦しみと言った感情はうれしいものではありません。
しかし悲しいかな、苦しみを出し尽くしたと思っても湧き出るように苦しみと言うものは出てくるのです。
坐禅をして苦しみから離れたと思っても、再び坐ると苦しみが出てくる。
出続ける苦しみは、出口が見えないトンネルにも似ています。
まっすぐなトンネルならば出口が見えて、あとどのくらい頑張れば良いのかがわかりますが、私達が迷い込むトンネルはカーブが続くため、いつ苦しみから離れられるかがわからず、ゴールが分からないことが苦しみにもなってしまいます。
ゴールが見えない苦しみにぶち当たったとき、私達は何を頼りにしたら良いのでしょうか。
私は白隠禅師坐禅和讃というお経の
闇路に闇路を踏みそえて 【やみじに やみじを ふみそえて】
いつか生死を離るべき 【いつか しょうじを はなるべき】
それ摩訶衍の禅定は 【それ まかえんの ぜんじょうは】
称嘆するに余りあり 【しょうたんするに あまりあり】
という一説を頼りにして良いと思います。

その 長い長い 闇を通り抜けて
いつかは生死(迷い・苦しみ)から離れることが大事です

そのため、心を落ち着ける(禅定)ことこそが、
私達を支えてくれるのです
このように解釈することができます。
心を落ち着けることで、いつかは苦しみから離れることができる
と説いているのです。
出口がないトンネルなどありません。
しかしトンネルを抜けるためには立ち止まることなく前に進み続けなければならない。
そんなことを語りかけてくれているように感じます。
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