娘の卒業式で「布施」について考えた
【令和3年3月18日のオンライン坐禅会で話した内容です。】
春ですね
今日は娘の小学校の卒業式でした。

保護者として卒業式に参加させていただきましたが、その中で涙を流しそうになった場面がありました。
娘が通った小学校(私も通った)の卒業式では「卒業生の言葉」があります。
一人一人が短文を次々に話すことで、全体として「卒業生の言葉」になるものです。
あの話し方の正式名称などが分からず伝わっているかとても不安ですが・・・話を続けます。
卒業生全員が立ち上がって「卒業生の言葉」を始めたのですが、その最中に一人の卒業生が体調を崩してしまいました。
体調を崩した卒業生は駆け付けた先生によって椅子に座らされましたが、だいぶ体調が悪そうで前を向くこともできずぐったりとしていました。
そんな状態ですが、卒業生たちは自分の担当する言葉を次々と話していき「卒業生の言葉」は続いていました。
と、そのとき体調を崩して座り込んでいた生徒が一生懸命、自分が担当する言葉を言ったのです。
たまたまですが、私が座っている場所から体調を崩した卒業生の次に順番の子の表情が見えました。
その子は心配そうに体調を崩した仲間を見ていましたが、彼が一生懸命自分の担当する言葉を言ったときに安心したようにニッコリとほほ笑んで自分の担当する言葉を大きな声で発表したのです。
私はその瞬間、体調を崩しながらがんばった姿と、ニッコリとほほ笑んだ次の順番の子の心が通じているように感じて感動して涙が出そうになりました。
春は卒業の季節と言われますが、春と言えば彼岸【ひがん】です。
彼岸と言えばお墓参りや先祖供養を思い出す方が多いと思います。
素晴らしい習慣です。
しかし、彼岸と「悟りの世界へ渡ること」を意味する言葉であり、その為の実践である「六波羅蜜【ろくはらみつ】」を意識しながら生活をする期間でもあります。
六波羅蜜とは
1.布施 みんなで力になります
2.持戒 みんなで決まりを守ります
3.忍辱 みんなで辛抱しあいます
4.精進 みんなで励む心を養います
5.禅定 みんなで静かな心を保ちます
6.智慧 みんなで信心の灯びを掲げます
です。
私はこの六波羅蜜の実践ということを考えたとき、オンライン坐禅会とはまさに六波羅蜜の実践だと感じます。
坐禅をするときには自然と、仏教徒として約束事を守り、辛抱して、励む心を養い、心静かに、信じる心を大切にしています。
2~6ができているのに1の布施だけできていない。
・・・とも思っていました。
しかし、今日の卒業式で懸命にがんばった男の子を見て、布施の考え方が甘かったことを実感しました。
私は布施とは
見返りをもとめないこと
お互いが、見返りを求めることなく
誰かのために尽くすこと
だと思っていました。
しかし、そうではなかったのです。
卒業式で懸命に自分の役割を果たした卒業生の姿も布施そのものであり、彼の姿に「してやった」という気持ちはありません。
しかし、その次の子 そして 周囲の参加者に間違いなく安心を与えていたのです。
これこそが、見返りを求めず、自然と誰かのためになる「布施」だったのです。
今・自分にできることを一生懸命やった。
周囲の子供たちも 式を止めて声をかけることではなく、自分にできることを精一杯することで彼の頑張りに応えているように見えました。
あ~、自分の役割を懸命に果たすその姿も布施だったと気が付くことができた。
お互いが、見返りを求めることなく できることをしながら助け合い、みんなで力になること。
この姿も「布施」なのです。
そう考えると、坐禅会で座っていること、オンライン坐禅会でいえばアクセスをしてくれていることも布施であり、静かに坐ることが六波羅蜜の実践です。
これからもこの実践を続けていきましょう!
春ですね
今日は娘の小学校の卒業式でした。

保護者として卒業式に参加させていただきましたが、その中で涙を流しそうになった場面がありました。
娘が通った小学校(私も通った)の卒業式では「卒業生の言葉」があります。
一人一人が短文を次々に話すことで、全体として「卒業生の言葉」になるものです。
あの話し方の正式名称などが分からず伝わっているかとても不安ですが・・・話を続けます。
卒業生全員が立ち上がって「卒業生の言葉」を始めたのですが、その最中に一人の卒業生が体調を崩してしまいました。
体調を崩した卒業生は駆け付けた先生によって椅子に座らされましたが、だいぶ体調が悪そうで前を向くこともできずぐったりとしていました。
そんな状態ですが、卒業生たちは自分の担当する言葉を次々と話していき「卒業生の言葉」は続いていました。
と、そのとき体調を崩して座り込んでいた生徒が一生懸命、自分が担当する言葉を言ったのです。
たまたまですが、私が座っている場所から体調を崩した卒業生の次に順番の子の表情が見えました。
その子は心配そうに体調を崩した仲間を見ていましたが、彼が一生懸命自分の担当する言葉を言ったときに安心したようにニッコリとほほ笑んで自分の担当する言葉を大きな声で発表したのです。
私はその瞬間、体調を崩しながらがんばった姿と、ニッコリとほほ笑んだ次の順番の子の心が通じているように感じて感動して涙が出そうになりました。
春は卒業の季節と言われますが、春と言えば彼岸【ひがん】です。
彼岸と言えばお墓参りや先祖供養を思い出す方が多いと思います。
素晴らしい習慣です。
しかし、彼岸と「悟りの世界へ渡ること」を意味する言葉であり、その為の実践である「六波羅蜜【ろくはらみつ】」を意識しながら生活をする期間でもあります。
六波羅蜜とは
1.布施 みんなで力になります
2.持戒 みんなで決まりを守ります
3.忍辱 みんなで辛抱しあいます
4.精進 みんなで励む心を養います
5.禅定 みんなで静かな心を保ちます
6.智慧 みんなで信心の灯びを掲げます
です。
私はこの六波羅蜜の実践ということを考えたとき、オンライン坐禅会とはまさに六波羅蜜の実践だと感じます。
坐禅をするときには自然と、仏教徒として約束事を守り、辛抱して、励む心を養い、心静かに、信じる心を大切にしています。
2~6ができているのに1の布施だけできていない。
・・・とも思っていました。
しかし、今日の卒業式で懸命にがんばった男の子を見て、布施の考え方が甘かったことを実感しました。
私は布施とは
見返りをもとめないこと
お互いが、見返りを求めることなく
誰かのために尽くすこと
だと思っていました。
しかし、そうではなかったのです。
卒業式で懸命に自分の役割を果たした卒業生の姿も布施そのものであり、彼の姿に「してやった」という気持ちはありません。
しかし、その次の子 そして 周囲の参加者に間違いなく安心を与えていたのです。
これこそが、見返りを求めず、自然と誰かのためになる「布施」だったのです。
今・自分にできることを一生懸命やった。
周囲の子供たちも 式を止めて声をかけることではなく、自分にできることを精一杯することで彼の頑張りに応えているように見えました。
あ~、自分の役割を懸命に果たすその姿も布施だったと気が付くことができた。
お互いが、見返りを求めることなく できることをしながら助け合い、みんなで力になること。
この姿も「布施」なのです。
そう考えると、坐禅会で座っていること、オンライン坐禅会でいえばアクセスをしてくれていることも布施であり、静かに坐ることが六波羅蜜の実践です。
これからもこの実践を続けていきましょう!
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