ねたみの心 二つの頭を持つ鳥
仏教の教えをわかりやすく説いた仏教聖典に、”二つの頭を持つ鳥“という話があります。
という短い話ですが、ねたみ、争う者は共に滅びてしまうことを示す話です。

果物を食べていた「頭」が、もう一つの頭も自分なのだと気が付いて果物を分けていれば、鳥は死ぬことはありませんでした。
または、果物を食べていない頭が、食べている頭も自分だと気が付き、ねたむ心を起こさなければ鳥は死ぬことはありませんでした。
まさに、ねたみ、争う者は共に滅びてしまうことを示す話ですが、同時に禅の無分別【むふんべつ】を説いているように私は感じます。
無分別とは一般的には軽率なことを意味しますが、仏教・禅では、何事物事を区別して考えないこと、転じて妄想を離れていることを意味しています。
あれは良い、これは悪い
こっちが得で、こっちが損
そんな比較や区別をせずに、ありのままに受け止め、受け入れることを「無分別」という禅語は説いているのです。
では、どうしたら「無分別」な心境になることができるのでしょうか。
もちろん、先祖供養や葬儀・坐禅など尊い習慣は数多くあります。
これらの実践はもちろん大切ですが、私自身は身近なところにも私達ができる実践はあると考えています。
ゴミを拾うことも大切な実践です。
家の中や職場、学校などでゴミが落ちていたときに迷うことなくゴミを拾うことができるでしょうか。
恥ずかしながら私にはできません・・・
1.ゴミが落ちていると気付く
2.ゴミを拾ってゴミ箱へ
とはいきません。
1.ゴミが落ちていると気付く
2.何が落ちているか、どんな種類のゴミか判断する
3.本来ならば誰が片付けるべきゴミかを考える
4.自分が関係しないゴミなら、拾うべきか拾わないかを考える
5.自分に関係するゴミでも、面倒だなと考えてしまう
6.ゴミを拾うことで誰かに評価してもらえるか考える
7.ゴミを拾わないと、誰かに非難されるかもしれなと考える
8.ゴミを拾ってゴミ箱へ
など、ついつい様々ことを考えてしまいます。
私はある和尚様が、ごみが落ちていることに気が付いたとき、何のためらいもなく自然に拾う姿が美しかったことをよく覚えています。
1.ゴミが落ちていると気付く
2.ゴミを拾ってゴミ箱へ
たったこれだけのことを、素直に”これだけ”行った姿も「無分別」な姿なのです。
始めのうちは、他のことを考えずにゴミを拾うことは難しいことではありません。
どうしてもいろいろと考えてしまいます。
しかし、ゴミを拾うという行為を続けることで、他のこと(余計なこと)を考えずにゴミを拾うことができるようになってまいります。
そのような状態になったときが、
一つの頭がおいしい果物を食べているのをねたみ、もう一つの頭が毒を食べて、両方とも死んでしまうような恐怖から解放された瞬間なのかもしれません。
さぁゴミを拾いましょう!!
体は一つで頭は二つある鳥がいた。一つの頭がおいしい果物を食べているのをねたみ、もう一つの頭が毒を食べて、両方とも死んでしまった。
という短い話ですが、ねたみ、争う者は共に滅びてしまうことを示す話です。

果物を食べていた「頭」が、もう一つの頭も自分なのだと気が付いて果物を分けていれば、鳥は死ぬことはありませんでした。
または、果物を食べていない頭が、食べている頭も自分だと気が付き、ねたむ心を起こさなければ鳥は死ぬことはありませんでした。
まさに、ねたみ、争う者は共に滅びてしまうことを示す話ですが、同時に禅の無分別【むふんべつ】を説いているように私は感じます。
無分別とは一般的には軽率なことを意味しますが、仏教・禅では、何事物事を区別して考えないこと、転じて妄想を離れていることを意味しています。
あれは良い、これは悪い
こっちが得で、こっちが損
そんな比較や区別をせずに、ありのままに受け止め、受け入れることを「無分別」という禅語は説いているのです。
では、どうしたら「無分別」な心境になることができるのでしょうか。
もちろん、先祖供養や葬儀・坐禅など尊い習慣は数多くあります。
これらの実践はもちろん大切ですが、私自身は身近なところにも私達ができる実践はあると考えています。
ゴミを拾うことも大切な実践です。
家の中や職場、学校などでゴミが落ちていたときに迷うことなくゴミを拾うことができるでしょうか。
恥ずかしながら私にはできません・・・
1.ゴミが落ちていると気付く
2.ゴミを拾ってゴミ箱へ
とはいきません。
1.ゴミが落ちていると気付く
2.何が落ちているか、どんな種類のゴミか判断する
3.本来ならば誰が片付けるべきゴミかを考える
4.自分が関係しないゴミなら、拾うべきか拾わないかを考える
5.自分に関係するゴミでも、面倒だなと考えてしまう
6.ゴミを拾うことで誰かに評価してもらえるか考える
7.ゴミを拾わないと、誰かに非難されるかもしれなと考える
8.ゴミを拾ってゴミ箱へ
など、ついつい様々ことを考えてしまいます。
私はある和尚様が、ごみが落ちていることに気が付いたとき、何のためらいもなく自然に拾う姿が美しかったことをよく覚えています。
1.ゴミが落ちていると気付く
2.ゴミを拾ってゴミ箱へ
たったこれだけのことを、素直に”これだけ”行った姿も「無分別」な姿なのです。
始めのうちは、他のことを考えずにゴミを拾うことは難しいことではありません。
どうしてもいろいろと考えてしまいます。
しかし、ゴミを拾うという行為を続けることで、他のこと(余計なこと)を考えずにゴミを拾うことができるようになってまいります。
そのような状態になったときが、
一つの頭がおいしい果物を食べているのをねたみ、もう一つの頭が毒を食べて、両方とも死んでしまうような恐怖から解放された瞬間なのかもしれません。
さぁゴミを拾いましょう!!
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