ノーサイド と 中道

当時は言葉の意味を調べることもなく、深くも考えずに聞き流していました。
最近になってウィキペディアの「ノーサイド」の記事を読んで驚きました。
ノーサイド(英語: no side)は、ラグビーにおいて、試合終了のことを指す古い英語表現で、日本においては現在でも使用されている(現在の英語圏では no side という表現は一般的ではなく、代わりに full time が用いられている)。
ワールドラグビーは「ラグビーではかつて審判が試合終了を宣言するために「no side」と叫んでいたが、ノーサイドという表現は日本で生き残り、試合終了のホイッスルが鳴れば全員がお互いの違いをわきに置くという意味になった」、またスポーツマーケティングに関わる海老塚修は「No sideの由来は『試合が終了したら、どちらのチーム(サイド)という区別なく、同じ仲間である』という精神に基づいていると聞いたことがある」と述べた。
【ウィキペディアより】
「日本においては現在でも使用されている」
なんと、英語の表現なのに英語圏では使われなくなったものが日本では使われているのです。
なんとも不思議な話だと感じながらも、
「No side」は直訳すれば「サイドではない」となり、「サイド」を「端」と考えれば、「端でない」となります。
「端でない」と聞けば、トンチの一休さんの有名な話「このはしを渡るべからず」を思い出す方も多いのではないでしょうか。
私はこの「このはしを渡るべからず」という話はお釈迦様が説かれた「偏見を離れた中正の道」を実践する中道【ちゅうどう】の教えを表した話だと思っています。
そして、このような中道の考え方が定着しているからこそ、
一休さんの話や「ノーサイド」という言葉も残ったのではないかと勝手に想像して楽しんでいます。