食事五観文 その4 【薬を飲むときには用法用量を守ります】

私は花粉症です。
そのため、寒い冬が終わり暖かくなって春を実感すると少しつらい気持ちになってきます。
しかし、だからといって手をこまねいているだけではいけませんので薬の力を借りるようにしています。
この季節は目薬と飲み薬を手放すことはできません。
もちろん用法用量を守って使っています。
目がかゆいからと言っていつもの2倍の量を点眼しても増えるわけではありません。
飲み薬も2倍飲んだからと言って2倍効くわけではありません。
かえって余分に飲むことで副作用が出てしまい体に負担をかけてしまうこともあります。
薬は決められた量を飲むことが大切だと言われて、「いやいや、俺はたくさん飲みたいんだ!」という人は多くありません。
決められた量を、決められた時間に飲むことが正しいことだと認識できているのです。
食事も同じです。
食事の前に「いただきます」と挨拶をしますが、禅宗ではもう少し丁寧な言葉があります。
それが食事の前にお唱えする食事五観文【しょくじごかんもん】というお経です。
食事五観文は食事をする際の誓いの言葉であり、5つの言葉から成り立っています。
その中に
この食事は、心と体の健康を保つ良薬と心得ていただきます。
という意味の
四つには、正に良薬を事とするは 形枯を療ぜんが為なり
【よつには まさに りょうやくを こととするは ぎょうこを りょうぜんが ためなり】
という言葉があります。
心と体の健康のために いただきます
と言い換えることもできる言葉です。
食事が私達の健康を支えるものであるならば、食事は薬であると言っても過言ではありません。
薬であれば用法用量を守らなくてはいけないのですが、どうしても 美味しいものは際限なく食べたくなり自分の好みに合わないものは排除したくなりがちです。
薬を飲むときに、「この薬はおいしいからたくさん飲もう。この薬は苦いから飲まないようにしよう」とは考えません。自分の健康のために、美味しくても苦手でもありがたく飲みます。
食事も同じです。
全ては自分自身を支えてくれるありがたいものなのだと実感しながらいただかなくてはいけないのです。
しかし、どうしてもそのことを忘れてしまうからこそ
食事の前に「四つには、正に良薬を事とするは 形枯を療ぜんが為なり」とお唱えするのです。
また、薬の効果を調べるときには
効き目のあるくすりを服用していると本人が思い込むことによって、病気がよくなる「プラセボ効果(偽薬)」ということも考えなくてはいけません。
私達の思考が体に直接影響を及ぼすこともあるのです。
薬の用法用量や偽薬のことを考えると
食事の前後で薬を服用する際には、目の前の食事も薬なのだと考えながらいただく。
薬を服用しなときには、食事そのものが薬なのだと感じながら食事をする。
これらの実践が私達の心と体の健康を支えてくれることは間違いありませんので、食事の際には手を合わせて「いただきます」というときに「この食事は 心と体の健康のためにいただきます」と思い出していただければ幸いです。
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