口に入れるのもの意識はあっても 体から出すものの処理については あまり意識がない

「口に入れるのもの意識はあっても 体から出すものの処理については あまり意識がない」
衝撃的な中学生の言葉がニュースで流れていました。
静岡市の中学校で「防災用品の備蓄について地域の3000世帯を対象に実施したアンケート調査の結果」を中学生が発表したとテレビのニュースで放送されていました。
その中で発表した生徒の一人が、食料品などの備蓄は多くの世帯で行われていたのですが、簡易トイレなどの備蓄が行われていたのが3割ほどだったことを
「口に入れるのもの意識はあっても 体から出すものの処理については あまり意識がない実態が分かった」
と言ったのです。
的を射たすばらしい発言です。
しかし、捨てることを考えることは簡単ではありません。
仏教の有名なお話に「筏【いかだ】の話」があります。
最近できた話ではなく、何千年も前から伝わっている話です。
ここに、 ひとりの人がいて、 長い旅を続け、 とあるところで大きな河を見て、 こう思った。
この河のこちらの岸は危いが、向こう岸は安らかに見える。
そこで筏【いかだ】を作り、その筏によって、向こうの岸に安らかに着くことができた。
そこで「この筏は、わたしを安らかにこちらの岸へ渡してくれた。
大変役に立った筏である。
だから、この筏を捨てることなく、肩に担いで、行く先へ持って行こう。 」
と思ったのである。
このとき、この人は筏に対して、しなければならないことをしたといわれるであろうか。そうではない。
この喩えは、 「正しいことさえ執着すべきではなく、捨て離れなければならない。まして、正しくないことは、なおさら捨てなければならない。 」ということを示している。
(仏教聖典より)
何千年も前から私たちは「捨てる」ということを考えて実行することが苦手なのです。
実際に何かを捨てようとしても、捨てなくてはいけないとわかっていても、ついつい手が止まってしまうことがあります。
では、どうしたら良いのでしょうか。
もちろん人それぞれ実践する方法に違いがありますが、私は坐禅の呼吸が「捨てる」ことの実践だと考えています。
「深呼吸をして」と言われれば多くの人が、大きく息を吸います。
吸った息すら吐くのがもったいないと思ってしまうのかもしれません・・・
しかし、坐禅の呼吸は吐くことを大切にします。
まずは、体の中の空気を静かに吐き出します。吐きつくしたと思ってからも、さらに吐きます。すべてを吐き出したらゆっくりと静かに息を吸います。
この呼吸を続けていくことで、自然と呼吸が調ってきます。
私は、坐禅とは、姿勢と呼吸を調えることで心が調うことを実体験するものだと考えています。
逆に言えば心を調えるためには姿勢だけでなく呼吸も大切なのであり、呼吸は吸うことだけでなく吐き出すことも大切なのです。
ですから、心を調えるためには「捨てる」ことは欠かせないことなのです。
しかし、ついついそんな大切なことを忘れてしまいがちな私達に
「口に入れるのもの意識はあっても 体から出すものの処理については あまり意識がない」
という言葉は大切なことを伝えてくれているのです。
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