写経会のときに どんな話しをしているの? その85

求心歇処即無事〔ぐしん やむところ すなわち ぶじ〕
外に答えはない 自分の中にある
写真のお地蔵様は東光寺(静岡市清水区横砂)の位牌堂にいらっしゃいます。
位牌堂は御檀家様がお参りに来られることが多い場所ですが、このお地蔵様の存在に気がついている方は多くありません。
しかし、お地蔵様は誰かに見られているか見られていないのかなど関係なく手を合わせています。
その姿こそが尊いのです。
中国の禅僧で臨済宗開祖の臨済義玄【りんざいぎげん】禅師の言葉などをまとめた臨済録という書物に
求心歇処即無事〔ぐしん やむところ すなわち ぶじ〕
という言葉があります。
”悟り”や”仏”といったものを外に求めとようとする心を断ち切った心こそが大切だと説く言葉です。
外に求めることなく、自分の中にある尊いものに気づくことの大切さを指摘する語であり、「無事」は、あらゆる執着や妄想から解放された平穏な境地を示しています。
自分の中にある尊いものに気がつくためにはどうしたら良いのでしょうか。
そのひとつが合掌です。
合掌の心を示した言葉に
右仏 左衆生と 拝む手の 中ぞゆかしき 南無の一声
というものがあります。
手を合わせると、すでに頂いて私達の中にある仏の心と一つになり、敬いの心である「南無」という気持ちが自然に湧いてくるものです。
私達の中には仏の心がある。同時に煩悩もある。
煩悩だけを消し去ることはできない。
仏の心だけを増やすこともできない。
煩悩だけ、仏だけを独立させることもできない。
ただし、ひとつになることはできる。
右手と左手を合わせてひとつになるように、仏と煩悩がぴったりとひとつになる。
私達は合掌をする姿に、仏様を見ているのです。
そして、誰かに見られているから見られていないかなど関係なく手を合わせる姿こそが、求心歇処即無事〔ぐしん やむところ すなわち ぶじ〕という姿です。
このお地蔵様のように自然と手を合わせることができる人になりたいと感じています。
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