誰にも見られない・・・
お寺では様々な場所に正月飾りを準備します。

これは客人を迎える部屋の飾りです。
今年も飾りました。
しかし・・・
予想通り、誰にも見られることなく片づけました。
普段ならば正月だけでなく、1月7日に行われる”大般若”という法要の際にも多くの和尚様方が使われる部屋なのですが・・・
新型コロナウイルス感染拡大を考慮し、今年は大般若の法要を住職と副住職だけで行いました。
その結果、この部屋には誰も入ることなく片づけることになりました。
しかし、これでよかったと思います。
「見られからやる、見られないからしない」ではないのです。
誰かのためにしているのではなく、自分の為にさせていただいている。
それが、お寺で生活をさせていただいている人間の務めだということを改めて感じる出来事がありました。
このことは、ここでは書ききれませんし頭の整理も出来ていませんので、後日紹介をさせていただきます。
ただ、片付けをしようとしたときに飾ったら掛け軸の達磨大師がこちらを見ていることに気がつきました。
そんなときに「誰にも見られないからやらなくてもいいや。」と思わなくてよかったと感じました。

これは客人を迎える部屋の飾りです。
今年も飾りました。
しかし・・・
予想通り、誰にも見られることなく片づけました。
普段ならば正月だけでなく、1月7日に行われる”大般若”という法要の際にも多くの和尚様方が使われる部屋なのですが・・・
新型コロナウイルス感染拡大を考慮し、今年は大般若の法要を住職と副住職だけで行いました。
その結果、この部屋には誰も入ることなく片づけることになりました。
しかし、これでよかったと思います。
「見られからやる、見られないからしない」ではないのです。
誰かのためにしているのではなく、自分の為にさせていただいている。
それが、お寺で生活をさせていただいている人間の務めだということを改めて感じる出来事がありました。
このことは、ここでは書ききれませんし頭の整理も出来ていませんので、後日紹介をさせていただきます。
ただ、片付けをしようとしたときに飾ったら掛け軸の達磨大師がこちらを見ていることに気がつきました。
そんなときに「誰にも見られないからやらなくてもいいや。」と思わなくてよかったと感じました。
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