自分の記憶力と枯れた松の葉に感じること

庭の松の木の下に松の枯れ葉が落ちています。
その枯れ葉を見なときに感じたことをこのブログに記そうと考えていました。
季節によって変化することがない松の緑は、どんな時でも変化することがない「私達が生まれたときか頂いている尊い心」を表現していると言われますが、1つ1つの葉が永遠に緑なのではありません。
中には落ちていく葉もあれば、新しい葉も出てきます。
全体は緑ですが、葉は絶えず生まれ変わり死に変わっていたのです。
と、言った記事の内容を頭の中で思い描き、いよいよ下書きをしようと考え、以前「松」について何か記事を書いていないかブログ内を検索して驚きました。
頭の中で描いた文章を1年前に書いてありました!!!
見事なくらい、頭の中で描いた文章がそのままそこにあったのです!!!!
※1年前の記事はこちらです。
書いたことを忘れるが、内容は覚えている。
これは「記憶力が良い」というのか「記憶力が悪い」というのか・・・
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