思わず足を止める

東光寺(静岡市清水区横砂)の境内に保育園があります。
先日、この保育園の事務室の前に胡蝶蘭が飾られました。
地元企業が赤い羽根共同募金に寄付した胡蝶蘭が、縁あって保育園に届いたのです。
私が胡蝶蘭を運んでいると、驚くほど立派な花に事務室の前を通る保育士さんは思わず足を止めて「わ~、すごい!」と声を出して見とれていました。
臨済宗妙心寺派の本山である妙心寺のホームページに
禅とは心の別名です。
~中略(妙心寺ホームページはこちらです)~
禅とは、雀の啼き声を耳にしても障りなく、花の香りの中にあっても妨げにならず一如となれる、そういう自由自在な心のことです。
と表現されています。
一般的には「禅」と聞くと「何事にも動じない」と考える方も多いのではないでしょうか。
私もその1人でした。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」
という言葉も有名で、「坐禅をすれば暑さ寒さを感じなくなる。」と考える方もいます。
しかし、「禅」とは「自由自在な心」と表現されているように「感じない心」ではないのです。
臨済宗円覚寺派の管長であられる横田南嶺老師は著書“人生を照らす禅の言葉”の中で玄沙師備禅師【げんしゃしび ぜんし】という中国唐代の禅僧の逸話を紹介されています。
ある時に、師の雪峰から、諸方を行脚してくるように勧められる。四度も勧められて、ようやく旅に出た。旅に出かけて間もなく、道の石ころにけつまずいて、忽然と大悟した。
~中略~
玄沙は石にけつまずいて開悟した。思わず「痛い」と叫ぶ。それはいのちある確かな証拠である。川のせせらぎを聞くものは何か。
いのちあればこそ聞いている。
そのいのちはどこから来たのか。
計り知れない無限のいのちを今ここにいただいて生きて いる。
その事を実体験すること が禅の修行にほかならぬ。
忙しい仕事の最中でも、ふと美しい花を見たときに思わず足を止めて「きれい」と感じることができる心も「自由自在の心」であり、そのように感じることができる状態に心を調えておくことが大切だと胡蝶蘭と胡蝶蘭を楽しむ皆様に教えていただきました。
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