写経会のときに どんな話しをしているの? その82

君子千里同風 〔くんし せんり どうふう〕
遠く離れた場所でも 同じ風が吹く
風は目には見えません。
しかし、窓を開ければ肌で風を感じることができます。
風車があれば風を目で見ることもできます。
コロナウイルス感染拡大の影響を考慮し半年間写経会をお休みさせていただきました。
写経会は毎月23日でしたので、23日になるたびに「本当は写経会があったのに・・・」と考えてしまいました。
しかし、自粛期間中に「千里同風」という言葉を目にしたとき、こんな素敵な言葉があるのかと感動をしました。
と、同時に写経会を再開するときには、必ずこの言葉で絵葉書を作成しようと考えていました。
千里同風は1200年程前の中国で活躍された2人の和尚様の逸話に出てくる言葉です。
ある時に、師匠に手紙を出そうとした和尚様がいました。
当時は郵便というものが発達していませんので、手紙は誰かが直接届けなくてはいけません。
そこで、和尚様は自分の弟子に手紙を持たせたのです。
師匠は手紙を受け取ると、さっそく中を見てみました。
すると手紙には何も書かれていません!
師匠は手紙を届けた和尚様の弟子に、「これはどういうことか分かるか?」と聞きました。
弟子は何も答えられません。
師匠は、白紙の手紙を手に「君子千里同風」と説いたのです。
「千里同風」、は「千里離れた土地であっても、同じ風が吹いている」という意味ですある。同じ風は心を表します。
つまり、白紙の手紙を使って“同志というものは、遠く離れていても心が通じ合う”、しっかりと修行をすれば文字などなくても全ては通じるものだと説いてくださったのです。
この言葉を見ていると、毎月23日に写経会に参加してくださっていた皆様と会って話しをすることはできませんでしたが、遠く離れた場所にいても同じ風が吹いているように、私達の心は繋がっているのだと信じることができました。
また、「遠く慣れた場所」とは“どの範囲”を示しているのでしょうか?
私は、限りなく広い範囲だと考えています。
距離だけでなく時間の概念すらない、限りなく広い範囲だと思っています。
東光寺の写経会は私がお寺に戻ってきた10年前に始めました。
右も左も分からない状態で始めた写経会に最初から参加し続けてくださっている方も何人かいます。
しかし、大変残念がことに その中の1人の方が写経会を再開する前にお亡くなりになってしまいました。
亡くなる直前までお寺にいつものように来てくださり話もしていたので、訃報を聞いても信じられず葬儀が終わってもいまだに実感を持てずにいます。
自粛期間中に大病を患い、「1人では外に出られなくなったので写経会には来られません」と写経会再開の直前に御家族と挨拶に来て下さった方もいらっしゃいました。
このよう方と私達はもう2度と会うことができないのでしょうか。
千里同風 距離だけでなく時間の概念すらない、限りなく広い範囲でも同じ風が吹く
と、あるように
一緒に写経という修行をしてきた者同士が、少し離れた場所にいるからと言って会うことができないはずはありません。
風は目には見えません。
しかし、窓を開ければ肌で風を感じることができます。
風車があれば風を目で見ることもできます。
亡くなった方、直接会えない場所にいる方と これまでと同じように会うことはできません。
しかし、静かに姿勢を正してゆっくりと呼吸をすることで、心の中で相手のことを感じることができます。
写経をしたときに、ふと横を見ればその方のことを感じることができるのではないでしょうか。
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