純粋な心と捉えるとうれしい言葉も、実は恐ろしい現実が目の前に来ていることを暗示しているのかもしれない・・・

小学校高学年の男の子に、「かっこいい!」と言われたことがあります。
私はこのとき、「やばい!!」と思いました。
ある施設に子供達に坐禅体験を依頼され、出かけていったときの話しです。
私は作務着姿で施設に到着し準備をしていました。
そこに、例の男の子がやってきて準備をしているところを見学していました。
準備が終わり、私は衣に着替えて再びその場所へ行くと、先ほどの男の子が私を見て「かっこいい!」と言ったのです。
この言葉を聞いたときに私がなぜ「やばい!!」と思ったのか・・・
それは数年前の出来事があったからです。
数年前に入院している知人のお見舞いに作務着で言ったことがありました。
いつも作務着を着ているので、何も考えることなく作務着で行きました。
ところが知人が退院してお寺に来てくれたとき
「お前が作務着で病院に来たから、後で同部屋の人に“坊さんが病院に来るなんで縁起が悪い。お迎えが来たと思ったよ”と冗談交じりに言われた。」
と教えてくれました。
考えて見れば、坐禅会や写経会なども行っていますが、一般の方と僧侶が接する機会は葬儀や法事が圧倒的に多いように感じます。
ですから、病院に作務着で出かければ嫌な気持ちになる人がいることも理解できました。
もちろん、葬儀や法事は“縁起が悪い”ものではありません。
(※“縁起が悪い”をしっかりと説明すると話しが長くなるので割愛させてください。後日、記事にします)
完全なる誤解です。
しかし、縁起が悪いと思えるということは「僧侶(お坊さん)は葬儀のときにやってくる」ということは知られているのです。
だからこそ“縁起が悪い”と言ってもらえるのです。
小学校高学年の男の子に「かっこいい!」と言われたとき、勝手な憶測ですが
この子はまだ僧侶が読経する葬儀や法事に参列したことがないのではないか。
“縁起が悪い”という概念すらないのではないか。
ということは、仏教の教えに出会っていないし、先祖供養の習慣を知らないのではないか。
と感じてしまい「やばい!!」と感じました。
仏教や禅の教えは決して縁起が悪いものではありません。
少しでも多くの方に触れていただきたいと思っていますし、少しでも小さい内から触れてもらいたいと考えています。
衣姿を「かっこいい!」と言われることは、嫌な気持ちになると言うことではありません。
何も知らずに「かっこいい!」と言ってもらえることは有難いことです。
しかしそれよりも、お寺のこと、仏教の教え、僧侶のこと、そこに集う人々のことを知ったうえで「かっこいい!」と言ってもらえる存在だということを多くの方に知ってもらえるように努力していこうと心に誓った出来事でした。
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