秋月と潰瘍性大腸炎
ある日、夜空を見ていた娘が「空がきれいだよ!」と教えてくれました。
空を見上げると薄い雲の向こうに月が出ており、薄い雲には月の光によって虹が映し出されていました。

「本当にきれいだね!」と娘に言うと
「でも昨日の満月もきれいだったよ!」
と返事をされてハッとしました。

禅の言葉に
吾心似秋月 【吾が心 秋月に 似たり】という言葉があります。
唐の時代の僧侶である寒山の詩の冒頭部分ですが
人々が本来そなえている仏性(仏様の心)を曇りのない秋月に例えています。
私は 月の光が雲を抜けて虹を作る光景を見て 以前の自分を思い出しました。
それは、人生の絶頂期と言っても過言ではない時期に潰瘍性大腸炎になった自分です。
自分のやりたい勉強をして、卒業後は夢だった教員になり、順調に経験を積み、結婚もして子供も生まれた。
そんなときのことです。
仕事も順調で、あの道に進むのか、この道に進むのか、それともこの道か・・・
など私自身に選択肢があって、どの道を歩んでも上手くいくだろうと考えていた時期でした。
そんなときに、潰瘍性大腸炎【かいようせい だいちょうえん】という病気になりました。
この病気は大腸に炎症が生じる病気です。発症すると腹痛、下痢、血便などの症状が現れる難病の1つに指定されているものです。
私の場合は絶え間ない原因不明の腹痛に襲われることから始まりました。
そして突然襲ってくる腹痛を超えた激痛。
最初に行った地元の病院では病名が分からず、とりあえず出された食あたりの薬をもらって服用しましたが2週間経っても症状は良くなりませんでした。
その後、1か月が経っても症状は改善されず、少し大きな病院へ行きました。
この病院で潰瘍性大腸炎と診断され、薬による治療が始まりました。
残念ながら症状が良くなることはありませんでした・・・
朝から晩までお腹に手を当てていないと生活ができないほど腹痛に襲われ続け、授業にも支障が出てきました。
その後、数ヶ月この状態を保っていましたが、とうとう症状が悪化し高熱を出し大病院への入院となりました。
口から何か食べれば数分後には激痛と共に下血をする状態でした。
そこで、食事は一切なく全ての栄養は点滴で採る生活になりました。
それでも襲ってくる腹痛の為にトイレに駆け込むと下血。
何も食べたり飲んだりしていないのに、トイレにこもらなければ理不尽さに心が折れそうになりました。
様々な治療が続けられましたが、症状が改善されないため、大腸を全て摘出する手術を行うための説明まで受けました。
この状態では教員は続けられないと退職もしました。
それまで、「自分には選択肢があり、選ぶことができる。」と考えていましたが、仕事もなくなり、病気の症状は悪くなる一方です。
こうなると「自分には選択肢がない」とふさぎ込む様になっていきました。
1時間に何度も血を出すためだけにトイレへ行くだけの入院生活で私は様々なものを失っていきました。
失って、失って、失って・・・・
命すら失うのかもしれないと実感したときに私の心に残った感情は
「生きたい」
というものだけでした。
しかし、不思議なもので「生きたい」という自分の感情が確認できると少し心が楽になったことも覚えています。
娘と見上げた雲の中の月と、秋の空にぽっかりと浮かぶ満月。
病気になって入院生活をしながら、自分の様々な感情が湧き出てきた状態は雲の中に輝く月がある夜空に似ているように感じます。
また、同じように病気になって半ば強制的に様々なものを私は剥ぎ取られました。いや、剥ぎ取ってもらえて
「生きたい」という気持ちが実感できた状態は、
吾心似秋月 【吾が心 秋月に 似たり】
に似た状態だったのかもしれません。
秋月のような私達の心を遮ってしまう.
心の中の雲を取り除くのは病気だけではありません。
お参り、読経、坐禅、写経・・・・様々なものがありますので、興味のあるものから無理せずに始めてみるのも良いかもしれません。
空を見上げると薄い雲の向こうに月が出ており、薄い雲には月の光によって虹が映し出されていました。

「本当にきれいだね!」と娘に言うと
「でも昨日の満月もきれいだったよ!」
と返事をされてハッとしました。

禅の言葉に
吾心似秋月 【吾が心 秋月に 似たり】という言葉があります。
唐の時代の僧侶である寒山の詩の冒頭部分ですが
人々が本来そなえている仏性(仏様の心)を曇りのない秋月に例えています。
私は 月の光が雲を抜けて虹を作る光景を見て 以前の自分を思い出しました。
それは、人生の絶頂期と言っても過言ではない時期に潰瘍性大腸炎になった自分です。
自分のやりたい勉強をして、卒業後は夢だった教員になり、順調に経験を積み、結婚もして子供も生まれた。
そんなときのことです。
仕事も順調で、あの道に進むのか、この道に進むのか、それともこの道か・・・
など私自身に選択肢があって、どの道を歩んでも上手くいくだろうと考えていた時期でした。
そんなときに、潰瘍性大腸炎【かいようせい だいちょうえん】という病気になりました。
この病気は大腸に炎症が生じる病気です。発症すると腹痛、下痢、血便などの症状が現れる難病の1つに指定されているものです。
私の場合は絶え間ない原因不明の腹痛に襲われることから始まりました。
そして突然襲ってくる腹痛を超えた激痛。
最初に行った地元の病院では病名が分からず、とりあえず出された食あたりの薬をもらって服用しましたが2週間経っても症状は良くなりませんでした。
その後、1か月が経っても症状は改善されず、少し大きな病院へ行きました。
この病院で潰瘍性大腸炎と診断され、薬による治療が始まりました。
残念ながら症状が良くなることはありませんでした・・・
朝から晩までお腹に手を当てていないと生活ができないほど腹痛に襲われ続け、授業にも支障が出てきました。
その後、数ヶ月この状態を保っていましたが、とうとう症状が悪化し高熱を出し大病院への入院となりました。
口から何か食べれば数分後には激痛と共に下血をする状態でした。
そこで、食事は一切なく全ての栄養は点滴で採る生活になりました。
それでも襲ってくる腹痛の為にトイレに駆け込むと下血。
何も食べたり飲んだりしていないのに、トイレにこもらなければ理不尽さに心が折れそうになりました。
様々な治療が続けられましたが、症状が改善されないため、大腸を全て摘出する手術を行うための説明まで受けました。
この状態では教員は続けられないと退職もしました。
それまで、「自分には選択肢があり、選ぶことができる。」と考えていましたが、仕事もなくなり、病気の症状は悪くなる一方です。
こうなると「自分には選択肢がない」とふさぎ込む様になっていきました。
1時間に何度も血を出すためだけにトイレへ行くだけの入院生活で私は様々なものを失っていきました。
失って、失って、失って・・・・
命すら失うのかもしれないと実感したときに私の心に残った感情は
「生きたい」
というものだけでした。
しかし、不思議なもので「生きたい」という自分の感情が確認できると少し心が楽になったことも覚えています。
娘と見上げた雲の中の月と、秋の空にぽっかりと浮かぶ満月。
病気になって入院生活をしながら、自分の様々な感情が湧き出てきた状態は雲の中に輝く月がある夜空に似ているように感じます。
また、同じように病気になって半ば強制的に様々なものを私は剥ぎ取られました。いや、剥ぎ取ってもらえて
「生きたい」という気持ちが実感できた状態は、
吾心似秋月 【吾が心 秋月に 似たり】
に似た状態だったのかもしれません。
秋月のような私達の心を遮ってしまう.
心の中の雲を取り除くのは病気だけではありません。
お参り、読経、坐禅、写経・・・・様々なものがありますので、興味のあるものから無理せずに始めてみるのも良いかもしれません。
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