昔話シリーズ その5 田植え地蔵

昔話シリーズ【5】 田植え地蔵
この話は、花咲かじいさんや鶴の恩返しのように、ほとんどの人が知る話しではないかもしれません。
しかし、今を生きている私達に大切なことを教えてくれています。
話しは以下の通りです。
むかしむかし、あるところに、働き者のおじいさんとおばあさんが住んでいました。
二人は毎日、田んぼに出かけます。
その途中に、小さなお地蔵様があり二人はいつも手を合わせていました。
やがて春が過ぎて、田植えの時期が来ました。
しかし年老いた二人では、なかなか田植えがはかどりません。
するとそこへ、坊主頭の元気な男の子がやって来て田植えを手伝ってくれたのです。
そのおかげで、いつもより早くに田植えが終わり、男の子は帰っていきました。
その日の帰り道、お地蔵様の前で手を合わせると
「おや?」
おじいさんがお地蔵さまの足元を見てみると、泥がついていることに気がつきました。
「おおっ、わしらの田植えを手伝ってくれたのは、お地蔵さまでしたか。ありがたい、ありがたい」
それからおじいさんとおばあさんは今まで以上に心を込めて、毎日毎日おじぞうさまに手を合わせました。
というお話です。
毎日お地蔵様に手を合わせると、困ったときにお地蔵様が助けてくれる。
そんな気持ちにもなるお話です。
確かにお地蔵様に手を合わせることは素晴らしいことです。
お地蔵様は私達を近くで救ってくださる菩薩様ですので、「困ったときにお地蔵様が助けてくれる」も間違いではありません。
しかし、ここからさらに一歩を踏み込んでみるとこのお話しの深さに気がつきます。
私はこのお話の大切な部分は
「足についた泥にすら手を合わせる尊さ」
だと思います。
舗装されていない道の祀られたお地蔵様に泥がついていたら
「誰かが歩いたり走ったりしたときに泥が跳ねてお地蔵様についた」
と考えてしまいがちです。
道路が舗装された現代でも、雨の日に道を歩いていたら車が跳ねた水が自分に飛んでくることがあるように、舗装されていない道の泥が跳ねてお地蔵様についた方が現実的です。
しかし、おじいさんはそのようには考えなかったのです。
感謝の気持ちを持って世界を見ているからこそ「足についた泥」をありがたいと感じることができたのです。
私達は手を合わせたとき、自然と感謝の気持ちが出てきます。
出ないときもあるかもしれませんが、毎日手を合わせていくと知らず知らずのうちに感謝の気持ちが出てきます。
田植え地蔵のお話しは
感謝の気持ちを持つことの尊さと、その気持ちを保ちながら生活をしていくことの大切さを教えてくれているように感じます。

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