“なる”のか“かえる”のか

小説家の三秋縋【みあき すがる】さんが
別に子供に戻りたいわけではなくて、ただ、夜中に外出するだけで街が遊園地みたいに見えたり、年の瀬を迎えるたびに卒業式みたいに切なくなったり、隣町のちっぽけな商店街が異国のように思えたり、席替えで気になる子と隣になっただけで世界一幸せになれたりした、あの感受性が羨ましいだけなんです。
と発言されていました。
この言葉は、江戸時代の禅僧である仙厓義梵【せんがいぎぼん】禅師の
坐禅して 人は仏に なるという
われは仏の 子にかへるなり
と同じことを伝えているように感じます。
仏教では仏になることを成仏【じょうぶつ】と言います。
しかし、“なる”のではなく“かえる”と言うことも多くあります。
仏教では、生まれたときから仏様のような尊い心をいただいていると説いています。
ですから、その心にかえっていく必要があるのです。
その心こそが、どんなことにも全力で取り組むみ、全力で多くのことを感じることができる感受性豊かな心だと感じています・・・