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科学と仏教 その3 科学の実験と「坐禅は捨てる」という考え方の共通点 

私は科学と仏教(宗教)には


「科学が進歩することで、宗教(古くからの信仰や習慣も含む)を科学的に説明できるようになってきた。」


という関係性があると考えています。

※詳しくはこちらの記事をご覧ください
科学と仏教 その1 科学が仏教を説明できるのか 
科学と仏教 その2 バタフライ効果と仏教の教え 


500蝶とさなぎとゴミ箱1



 坐禅は「心のゴミ捨て場」です。何かを求めて行うものではありません。坐禅をいくら組んでも、何ら得るものはないのです。それでは、なぜ坐禅をするのか。それは「捨てる」ために他なりません。心の中にある色々なものを捨てた先に、私たちが生まれながらに持っている「幸せな心」があるのです。





東京都世田谷にある龍雲寺住職 細川師の言葉です。



言葉の通り、心の中にある様々なものを捨てることで大切なものを見つめ直すことができます。







科学の実験も「捨てる」ことが大切です。


私は光化学の研究室に所属していた3年間、毎日のように実験をしていました。


実験は「捨てる」の連続です。


実験と言うと、いろいろなものを混ぜて変化を観察する印象があるかもしれません。


もちろん、その通りなのですが“ただ混ぜる”わけではありません。


実験に必要でないものを徹底的に捨てていきます。


不純物が入る可能性があるものもどんどん捨てます。




実験結果に影響を与える可能性がある、温度変化や光量の変化も捨てます。



捨てて捨てて、捨てきることで、自分達が観測したい現象だけを見つめることができるのです。


これは、坐禅をすることで心の中にある色々なものを捨てたからこそ「幸せな心」も見つけることができることによく似ているように感じます。


捨てて捨てて捨てきることで 物事の本質を見つめようとする姿に、科学と仏教の違いなどないと感じています。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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