科学と仏教

パソコンが「私は科学です」と自己紹介してきたらどうしますか?
「え、違うでしょう!」
と言いませんか?
私は言います!!
「科学は0か1に分ける学問だ、分類をする学問だ。」
と言う方がいます。
著名な宗教家が堂々と言っていたのでビックリしたこともあります。その宗教家は
「だから科学と違って宗教は素晴らしい。」
といった話をしていました。
でも、私はこの考え方は間違っていると思っています。
「科学は0か1」
確かにコンピューターの原理は数字の0か1だけを用いる二進法を使っています。
これは有名な話しであり、
コンピューター = 0か1
は、あながち間違いとは言い切れません。
では、「科学は0か1」という思い込みはどのようにして発生するのでしょうか。
これは
科学 = コンピューター
という間違った認識がから始まっています。
① 科学 = コンピューター (もちろん間違い)
② コンピューター = 0か1
だから
科学 = コンピューター = 0か1
ということは
科学 = 0か1
となるようです。
そもそも
科学 = コンピューター
という考えが間違っていますので、間違った仮定を利用した結論は間違いです。
では、科学とは何なのでしょうか?
辞書を調べると
一つの理論的な秩序やまとまりの中に組み込まれている知識や経験の総称
と説明できそうです。
難しい言葉を使わずに私なりの考えでは「科学とは再現性」だと思います。
科学とは様々な経験や実験を繰り返して物事の本質を追求する学問であり、求められることは再現性です。
物を落とすと下に落ちます。
同じ場所で同じものを落とせば毎回同じ場所に落ちます。
たまに落ちることなく上に昇っていくことはありません。
これが再現性です。
こういった再現性を見つけて、理由を明らかにする学問が科学です。
その過程で分類をすることは確かにあります。
だからといって
科学 = 0か1
ではありません。あくまでも物事の本質も追及するのが目的であり、分類は過程なのです。
ましてや「0か1」は過程の中で使う1つの道具の原理であって、科学そのものを表す言葉でありません。
では、科学と仏教(宗教)にはどのような関係があるのでしょうか。
私は科学と宗教は相対的な位置にあると思っていません。
幼い頃は科学の反対が宗教だと思っていましたが、科学をかじって仏教を勉強してみると
「科学が進歩することで、宗教(古くからの信仰や習慣も含む)を科学的に説明できるようになってきた。」
と考えるようになりました。
坐禅の尊さを交感神経と副交感神経という言葉で説明してくれる科学者もいます。
様々な例を出していくと話しが長くなりますので、この記事はここまでとさせていただきます。
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科学と仏教 その2 バタフライ効果と仏教の教え