袖振り合うもタショウの縁

袖振り合うもタショウの縁
という言葉があります。
私はタショウを“多少”だと思っていました。
近くを歩いている人は全く知らない人ではなく、多かれ少なかれ縁がある人ですよ。
そのような意味だと思い込んでいました。
しかし、実は“タショウ”は “多生” または “他生”という字が入ります。
多生・他生ともに、仏教の言葉です。
仏教語辞典で たしょう を調べてみると
他生 たしょう
現世・この世を意味する今生に対して,それ以外の前世あるいは来世のことをいう。
なお、多生は,何度も生まれかわって多くの生をうけることであるが,現在では他生としばしば混用され,他生の縁も多生の縁も,前世からの因縁の意味で用いられている。
と書いてあります。
つまり、「袖振り合うも多生(他生)の縁」には、
人との縁はすべて深い因縁によって起こるので、どんな出会いも大切にしなければならないという意味があるのです。
これを“多少”と間違えていたのですから、意味が大きく違ってしまいます。恥ずかしい限りです。
言葉遊びになってしまいますが、私は多生(他生)の意味を知ったとき、
多生の縁には「今を生きている多くのいのちの中で生かされている縁」
他生の縁には、「過去に生かされているような、他の力に生かされている縁」
という意味があると感じました。
臨済宗妙心寺派の生活信条には
生かされている自分を感謝し 報恩の行を積みましょう
とあります。
多生・他生の縁を感じたならば、その恩に報いるような生き方をしていきましょうと語りかけてくれているように感じます。
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