無分別に生きるためにゴミを拾う
昨日のブログで、司馬温公の瓶割り【しばおんこうのかめわり】を紹介させていただきました。
※昨日の記事はこちらです。
貴重な水がめに落ちた子供を助けるために、迷うことなく水がめを割った話です。
私は、司馬温公の瓶割りは、命か貴重品かを選ぶ分別の大切さを説く話ではなく、瓶を迷うことなく割った無分別の説く話だと私は考えおり、仏教が説く無分別な行動ができるようになるために日々の行いが必要だと思います。

様々な実践がありますが、私はゴミを拾うことも大切な実践だと考えています。
家の中や職場、学校などでゴミが落ちていたときに迷うことなくゴミを拾うことができるでしょうか。
恥ずかしながら私にはできません・・・
1.ゴミが落ちていると気付く
2.ゴミを拾ってゴミ箱へ
とはいきません。
1.ゴミが落ちていると気付く
2.何が落ちているか、どんな種類のゴミか判断する
3.本来ならば誰が片付けるべきゴミかを考える
4.自分が関係しないゴミなら、拾うべきか拾わないかを考える
5.自分に関係するゴミでも、面倒だなと考えてしまう
6.ゴミを拾うことで誰かに評価してもらえるか考える
7.ゴミを拾わないと、誰かに非難されるかもしれなと考える
8.ゴミを拾ってゴミ箱へ
など、ついつい様々ことを考えてしまいます。
こういったことを考えないためには、「即実行」を普段から意識し、繰り返すことが必要です。
ゴミに気が付いたら、すぐに手を出す。
誰かに何かしてもらったら、ありがとうと言う。
悪いことをしたと感じたら、ごめんなさい。
朝誰かにあったら、おはようございます。
そんな当たり前のことを当たり前にしていくことこそが、仏教が説く無分別な行動ができるようになるための日々の行いだと思います。
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