司馬温公の瓶割り【しばおんこうのかめわり】

司馬温公の瓶割り【しばおんこうのかめわり】と言う逸話があります。
昔の中国の政治家であり学者でもあった司馬温公(司馬光)の子供時代の逸話です。
古くて大きな大変貴重な水をためるための瓶がありました。
その周囲で子供たちが遊んでいると、一人の子供が瓶の中に落ちてしまいました。
このままでは落ちた子供は死んでしまいます。
このとき、迷うことなく近くにあった大きな石で瓶を割って子供を助けたのが幼少期の司馬温公です。
どんなに貴重な物でも人の命には代えられない。命の尊さを教える話です。
しかし、この話で大切なのは、人の命と貴重な品物を天秤にかけて人の命を救ったということではないと私は考えています。
大切なことは、迷うことなく瓶を割ることができたことです。
仏教では、ものごとを2つに分けて考える分別を嫌います。
一般的には軽率なことを意味する“無分別”を仏教では“区別しない・こだわらない・ありのままに受け入れる”と捉えて大切にします。
司馬温公の瓶割りは、命か貴重品かを選ぶ分別の大切さを説く話ではなく、瓶を迷うことなく割った無分別の説く話だと私は考えています。
では、どうしたら仏教が説く無分別な行動ができるようになるのでしょうか。
これにはもちろん日々の行いが必要です。
様々な行いがありますが、御先祖様の供養もそのひとつです。
御先祖様に手を合わせたときに、お願い事をしたり見返りを求めるということはありません。
このように、誰かの為に見返りを求めずに手を合わせる姿こそが無分別の姿であり、無分別な行動そのものです。
このような行動の積み重ねこそが仏教が説く無分別な行動ができるようになるための一歩になると私は考えています。
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