ひねくれた考え方 なんで六地蔵様はここにいるの?
私は昔から物事を変な見方をする性格のようです。
多くの人が感動する映画も冷めて見ていて、つまらない批評をしたりしていたと思います。
中でも、仏教の話や宗教に関する話などは「ツッコミところが満載過ぎて聞く気にもならない」と思っていました。
そんな人間が今では僧侶になっているのですから、世の中何があるか分からないものです・・・・

東光寺(静岡市清水区横砂)の山門を入っていただくと左手に六地蔵様をお祀りしています。
六地蔵様はなぜ「六」なのでしょうか?
それは、仏教の六道【ろくどう】という考え方に関係があります。
六道とは
地獄
苦しみの世界です。
餓鬼【がき】
あれも欲しい これも欲しいと 欲張り続ける世界
畜生【ちくしょう】
苦しみが多くて、楽しみがほとんどない。みんなが自分勝手に生きている世界
修羅【しゅら】
いつもケンカをしたり戦争をしている世界
人間界
いろんな悩みをかかえて生きている世界
天界【てんかい】
楽しそうな世界だけど、いつこの楽しい世界から追い出されるかビクビクして過ごす世界
を言います。仏教では 「いのちあるものはこれらの6つの世界を生まれ変わり死に変わる」と言われており、「どの世界でもお地蔵様がいてくださり、みんなを救ってくださっている」と説いているのです。
この話しを聞いたとき・・・
「では、なぜお地蔵様はここにいるのだろうか? 地獄で救ってくれると言うのならば、地獄にいなければならないのではないか!!?」
と思いました。しかし、白隠禅師坐禅和讃というお経の中の一文に
六趣輪廻の因縁は【ろくしゅ りんねの いんねんは】
己が愚痴の闇路なり【おのれが ぐちの やみじなり】
とあります。現代的な言葉にすると
いつまでも迷いの世界から抜け出すことができないのは、
自分の境遇を くよくよと 嘆くからです
このように訳すことができます。
つまり、迷いの世界から抜け出すことができないのは、迷いの世界を自分が作り出しているからなのです。
そして、自分の中にこそ地獄があり餓鬼があり修羅があるのです。
そう考えたときお地蔵様が地獄ではなく餓鬼でもなく修羅でもなく、
今 ここ 私達の目の前にあると言ことは、
私達がいる場所こそが地獄であることを示しているのです。
しかし同時に、そこで心から手を合わせてお参りすることができたなら、今いる場所こそが極楽浄土となることも示してくれているように感じます。
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