ラーメンの思い出

小学生の頃、お店で食べたラーメンがあまりにもおいしくて家でもラーメンを食べたいと思ったことがありました。
“ミスター味っ子”というマンガで得た料理の知識だけで、小学生の私(横山少年)は「おいしいラーメンを作りたい」という一心でスーパーに出かけました。
アホな少年はカップラーメンでもインスタントの袋麺でもなく、一番安いという理由だけでスープも何もついていない生ラーメンを購入し意気揚々と帰宅しました。
マンガの主人公が一番安い材料でも最高の味を引き出す場面をよく見ているので、なぜか少年も同じことができると思い込んでいました。
少年はさっそく料理に取り掛かります。
目標はおいしい醤油ラーメン。
麺を茹で、器に盛り付けたものの
「あれ、醤油ラーメンのスープは何で出来ているのだろう???」
という疑問が出てきました。ラーメン屋さんで見た光景を思い出すと
「この前食べたラーメンは、器に醤油を入れて鍋からお湯を入れてたぞ!そうか、お湯に醤油を入れればいいんだ!!!」
少年は温かい麺に、醤油をかけてお湯を入れました。
味は・・・
少年の想像をはるかに超えて・・・
おいしくないものでした。
当たり前の話です。
出汁がないのです。様々な食材を煮込んで作られた出汁が・・・・
出汁がなければ ただのうす~い醤油のかかったラーメンなのです。
薄いからといって醤油を増やせば良いのか!?
もちろん結果はダメでした。ただのしょっぱい麺になってしまったのです。
この失敗から少年は“出汁”の必要性を強く実感したのでした。
「 動中の工夫は 静中に勝ること 百千億倍す 」
と言う、江戸時代の大変有名な白隠禅師【はくいんぜんじ】という臨済宗の和尚様が残された言葉があります。
動中【どうちゅう】とは、掃除・食事・托鉢など動きのある修行や日常生活、 静中【じょうちゅう】とは、坐禅を意味しています。
日常生活を一生懸命行うことは、坐禅をすることの百千億倍すごいことだ!
と言う言葉です。
しかし、坐禅はたいしたことないのに、日常生活だけが大切だといっているのではありません。
「倍」つまり掛け算なのです。
どちらかをおろそかにしてはいけない。
どちらかだけを大切にしてもいけないのです。
醤油ラーメンのつゆは、出汁と醤油が絡み合っておいしいものになります。
出汁だけでもいけないし、醤油だけでもいけない。
お互いがお互いを必要として高め合っていく世界です。
動中の工夫は 静中に勝ること 百千億倍す
も、また
動中だけでなく、静中だけでもない、お互いが認め合うことできて、大きく成長していく姿を表しています。
なんだか、同じ物を見ている気がします・・・
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