直接会うのは一番ですが、会わなきゃ嫌だと僧侶は言ってはいけない!!

誰かと会うことを自粛している日々が続いています。
私は最近、インターネット上での会議に初めて参加をしました。
いつもなら、若手僧侶の会(臨済宗青年僧の会)の話し合いがあれば集まって話し合いをしていました。
しかし、この臨済宗青年僧の会は全国組織であり集まるには公共交通機関を使用しなくてはいけません。そこで、慣れないシステムでしたが全員でインターネット上の会議に挑戦をしました。
もちろん、集まって話し合いを行うのとは違った雰囲気にはなりますが問題なく会話をすることができました。
画面いっぱいに坊主頭がひろがるという不思議な映像を横から見てしまった妻は笑いを抑えるのに必死でした・・・
遠くにいる方、しかも複数の方々と通信ができることに感動したと同時に表情を見ること、姿を見ることのありがたさも感じました。
声だけの電話よりも多くのことを伝え、感じることができたのも事実です。
もちろん、直接会って話をすることができるのが一番良いのだと思いますが、現状を考えるとそれは難しいことです。
このような会議を提案すると
「そんな心のこもっていない会議には出たくない。やはり大切なことは会って話さなくてはいけない!!会って話せないなら意味がない。心がこもっていない。」
と言う人がいます。
その通りです!! 言い返す言葉はありません。しかし、私は
このようなことをお坊さんは言ってはいけない!!
と思っています。大切な方が亡くなると私達は葬儀を行います。
亡くなった方、亡くなった方の肉体と最後のお別れをします。
しかし、そこで終わりではありません。
決められて日数、年数ごとに法事を行います。
当然、そこに亡くなった方の肉体はありません。
法事のときに写真を飾る習慣もあまり聞きません。
しかし、お参りするときの気持ちは
“そこに大切な方が いるかのように”
好きなものなどをお供えし、手を合わせお参りし、話しかけます。
もう、直接会うことはできないけれど、手を合わせてお参りをしたときに“今も自分の中に大切な方がいてくださっている”と実感することができるものです。
もちろん、亡くなった方だけが自分の中にいてくれているのではありません。
亡くなった方を供養することで、今生きている方(自分を支えてくれている多くの方々)も自分の中にいてくれている。
今、自分は生かされている。
このように実感することを説くのが仏教であり、お坊さんの務めです。
だからこそ、私はお坊さんが
「やはり大切なことは会って話さなくてはいけない!!会って話せないなら意味がない。心がこもっていない。」
と言うのには違和感を覚えますし、そのような発言をしないと誓います。
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