【2枚のマスクとオウムと雨】

私は右側にかたよることも左側にかたよることもせず、中道を歩みたいと考えています。
2枚のマスクを全世帯に配布するという話が出てから、とてつもない罵詈雑言が飛び交っているように感じます。
「え、2枚!? 今6人で生活しているんですけど・・・・」
私もそう考えました。そして、この6人の力関係を考えるとマスクは自分の所にマスクは来ないことも理解しました・・・
そんなとき、1匹のオウムの話しを思い出しました。その話とは
たくさんの動物達と森の中で暮らしていた1匹のオウムの話しです。
ある日、彼らが暮らす森で火災が発生しました。
火は風にあおられて大火となり、動物達は逃げ場を失って鳴き叫びます。
オウムは長い間住居を与えてくれた森のために、そしてたくさんの動物たちを助けるために、近くの池に入っては翼を水に浸し、空にかけのぼっては数滴の水を燃えさかる火の上にそそぎ続けました。
少し安全な場所に避難した動物達の中には
「そんなこと無駄だよ!」「役に立たないよ!」「俺らならもっと水を汲めるぞ、どうせ消えないからやらないけど」
などとヤジを飛ばすものもいました。
しかし、オウムは飛び続けたのです。
するとオウムの想いが通じたのか、やがて雨が降り出し森の火災は消し止められたのです。
という話しです。
このような話しをすると
「なんだ、ファンタジーか。くっだらねぇ~」
という人もいます。
この話しが仏教の教えを伝える大昔から伝わっている仏教説話だと知ると
「はい、はい、損得を考えないのがすごいって話でしょ!!」
と敵意をむき出しにする人もいます・・・
しかし、この話しを“雲核”という言葉とともに見ていくと あながち「ファンタジーや夢物語」と言えないのかもしれません。
少しだけ理科の話しです。
雨が降るのは雲があるからです。
その雲は水蒸気からできています。
でも水蒸気だけだと雲はできづらいのです。
雲核【うんかく】という、雲の核となる小さな粒があると水蒸気が雲になりやすい!
空気中に浮かんでいる雲核のまわりに水蒸気がくっついて雲が作られるのです!!
つまり、そこに大量の水蒸気と言う雨の材料があっても雲核という“きっかけ”がなければ雨どころか雲すら作られないのです。
そう考えると、オウムのひたむきな行動によって雲核が発生し、雲ができる“きっかけ”となり、雨が降って火が消えたとも言えるので、大昔の話はファンタジーと言い切れなくなってくるのです。(かなり強引で半分ファンタジーかも・・・)
燃えている森や仲間の動物と池を見たとき、オウムは ただひたむきに水をかけ続けました。
安全な場所に避難した動物は遠くからヤジを飛ばしました。
しかし、オウムの行動は森や動物たちを救いました。
2枚のマスクが到着したのなら、私はただひたむきにそのマスクを使いたい。洗って何度も使いたい。
もちろん、何かが変わるのならば精一杯ヤジを飛ばします。
ヤジを飛ばす、マスクをする、どちらも誰かのことを想い必死に行うならば、どちらが正しいのかではなく、全てが正しいのです。5000万枚のマスクを受け取った人が何回も繰り返し使えば、これまで消費されていたマスクが消費されずに、本当に必要な人に届く可能性が少しでも上がるのではないでしょうか。
ちなみに物語でオウムは「恩を思う心と慈悲の心からしていることが、できないはずはない。わたしはどうしてもやる。次の生に及んでもやりとおす。」と語り、私利私欲を捨てた尊い姿を示してくれています。
その姿と、自分が貯めたお年玉で布製マスクを600枚以上作り寄付をした女子中学生の姿も重なります。
今できることを精一杯 自分のために 誰かのために
そう意識して日々を過ごしていきたいと思います。
ギスギスした心のまま生活をしてしまいがちですが、ちょっと一息入れて姿勢をよくして ゆっくりと深呼吸も大切です。
姿勢と呼吸を調えれば、心も自然に調ってきます。
心が調えば新しい発見があるかもしれません。
・・・あ、私にはマスクがまわってこないかも!!
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