灯りを求めてさまよう人もいるのです

仏教では灯明【とうみょう】を“闇を照らす智慧の光”として大切にしています。
夜遅くまで点いている灯りは灯明なのか、無駄遣いなのか・・・・
どちらでしょうか?
夜遅くまで職場に残っている教員の方も多いようですが、
「遅く残ることが熱心だ」
と勘違いしていません?
学校に夜遅くまで明かりがついているのを見た保護者や地域の方は
「先生、熱心ね〜。」
ではなく、
「誰がそのお金を払っているのよ!」
らしいです。
この感覚って先生あるんですか?
という発言がインターネットの世界にありました。
10年以上前、教員をしているときにもこのような言葉は聞かれました。
近隣の小学校の電話が鳴り、残業をしていた教員が電話に出ると「いつまで電気を使っているんだ!税金を無駄遣いするな!!」と怒鳴られたそうです。
そんな話は聞いていましたが、私は定時で仕事を終えて職場を後にしたことはありませんでした。
確かに光熱費は税金で賄われているので無駄にしてはいけません。
しかし、私が勤務していた中学校には夜遅くまで仕事をしていると在校生が顔を出すことは珍しいことではありませんでした。
9時過ぎ、10時過ぎ、はたまた11時過ぎに女子中学生が1人で職員室に入ってきたこともありました。
夜遅い時間まで仕事を1人ですることはほとんどありませんでしたので、複数の教員と共にやってきた生徒と取り留めのない会話して帰宅をうながしていました。
一般的な家庭や地域で生活をしている方がこの話を聞くと「とんでもない教員だ。そんな時間に出歩いている生徒を叱らないなんてどうかしている。」と思うのが当たり前です。
しかし、彼らがなぜ学校へ来るのかを考えると私は彼らを叱ることはできませんでした。
彼らは夜の繁華街へと向かっている途中に学校の灯りを見つけて寄っていたのです。
家に帰っても親はいない。
さみしさを紛らわすために彼らができることは、かまってくれる大人がいる夜の繁華街を目指すことなのです。
しかし、夜の繁華街へ中学生が行っても良いことはほとんど起こりません。むしろ悪いことが起こります。
残念ながら真っ暗な心でフラフラとさまよう彼らに、繁華街の灯りと職員室の灯りの区別はつきません。たまたま近くの灯り(職員室)に吸い込まれるように入ってくるのです。
だからこそ、彼らを叱ることなく取り留めなのない話をして帰宅をうながすのです。
一通り話し終えると彼らは帰宅し、翌朝元気に登校してきます。
夜遅くまで光熱費を使うことは確かに税金の無駄遣いかもしれません。
しかし、無駄だと言われる灯りが悪の道へと進まず、正しい道へと導いていることがあることも事実です。
夜遅くに電気が点いている学校を見かけたときには、「あの光は灯明に違いない!」と感じていただければ幸いです。
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