人が集まるお寺の作り方その2 お寺の常識は世間の非常識

臨黄教化研究会という勉強会で 「人が集まるお寺の作り方」 という題でアドバイザーを含めて10人程の僧侶で話し合いをするという機会に巡り合いました。
様々な実例が出てきましたが、
人が集まるお寺を作りたいのなら、まずは なぜ人はお寺にくるのかを考えなくてはいけない
ということになりました。言われてみますと、今まで深く考えなかった問題ですが、とても大切なことです。
そして多くの実例をもとに話しをしていくと
自らお寺に来る方は“安心を求めている”ことが多いことに気がつきました。
安心とは心が安らぐことです。
普段の生活に疲れてお寺に来ると心が安らぐのは、お寺に
・非日常
・不自由
・異空間
・言葉では説明しきれない魅力
が残されているためなのです。
あわただしい普段の生活の中では坐禅のように姿勢と呼吸を調えてゆっくり座ることは非日常であり、
便利グッズに囲まれた普段の生活では、ホウキ1本と雑巾1枚で多くの場所を掃除することは不自由で、
コンクリートに囲まれた普段の生活では、緑が多い空間に木造建築が存在するお寺は異空間です。
さらに、“説明責任”や“科学的根拠”など言葉での説明を求められる普段の生活では、亡くなった方に手を合わせることで心が落ち着く経験など言葉では説明しきれない魅力です。
何も特別なイベントや取り組みばかりを増やす必要などないのです。
ではなぜ人はお寺に来なくなったのでしょうか。
お寺に多くの人が求める非日常や不自由、異空間、言葉では説明しきれない魅力があることが伝わっていないのです。
なぜ伝わっていないのかは、私自身が伝える努力をしきれていないからです。
だからこそ、これまでに多くの先人達が残してくれたお寺の魅力を伝えられるように努力をしていきたいと感じる今日この頃です。
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