人が集まるお寺の作り方 その1
臨黄教化研究会で「日本仏教界に未来はあるか」と題して講演をされた鵜飼秀徳氏(良いお寺研究会代表理事・正覚寺副住職)が発した一言が忘れられません。
人が集まるお寺の作り方を班で討議しているときに鵜飼氏が
「大切なのは和尚さんの奥様ですよ!奥様を大切にしない人の言うことに誰も耳を傾けませんよ。」
と、班の中では具体的な事例を発表し、
「あんな企画を実行した・こんな企画を実行した、このくらいの人数が参加して、その後にこのような効果があった」
などと話を進めていました。
もちろん素晴らしい実践例も多く参考になるものばかりでしたが、それらは全て外側の話しだったように感じます。

禅の言葉に
求心歇む処 即ち無事 【ぐしん やむところ すなわち ぶじ】
という言葉あります。
臨済宗の最初の和尚様である臨済禅師の言葉です。
「無事」という言葉は「大事に至らずに済んだ」というような意味で使いますが、禅語の「無事」とは、人間はすべて尊い心(仏の心)を頂いており、外へ向かって仏を求めようとしないことを意味しています。
つまり、
外に求める心がなくなったときこそが無事である、仏の姿そのものである。
と言えるのです。
人が集まるお寺を作りたいと外ばかりに何かを求めるのではなく、私達僧侶は一緒に暮らしながら寺を護ってくれている奥様を含めた寺族という尊い存在を忘れてはいけない。
その存在を忘れることは、外に求める心が出ている状態であるくことであり、奥様を大切にしていない証拠となってしまいます。
「奥様を大切にしない人の言うことに誰も耳を傾けませんよ」
は、かなり奥が深い言葉でした。
人が集まるお寺の作り方を班で討議しているときに鵜飼氏が
「大切なのは和尚さんの奥様ですよ!奥様を大切にしない人の言うことに誰も耳を傾けませんよ。」
と、班の中では具体的な事例を発表し、
「あんな企画を実行した・こんな企画を実行した、このくらいの人数が参加して、その後にこのような効果があった」
などと話を進めていました。
もちろん素晴らしい実践例も多く参考になるものばかりでしたが、それらは全て外側の話しだったように感じます。

禅の言葉に
求心歇む処 即ち無事 【ぐしん やむところ すなわち ぶじ】
という言葉あります。
臨済宗の最初の和尚様である臨済禅師の言葉です。
「無事」という言葉は「大事に至らずに済んだ」というような意味で使いますが、禅語の「無事」とは、人間はすべて尊い心(仏の心)を頂いており、外へ向かって仏を求めようとしないことを意味しています。
つまり、
外に求める心がなくなったときこそが無事である、仏の姿そのものである。
と言えるのです。
人が集まるお寺を作りたいと外ばかりに何かを求めるのではなく、私達僧侶は一緒に暮らしながら寺を護ってくれている奥様を含めた寺族という尊い存在を忘れてはいけない。
その存在を忘れることは、外に求める心が出ている状態であるくことであり、奥様を大切にしていない証拠となってしまいます。
「奥様を大切にしない人の言うことに誰も耳を傾けませんよ」
は、かなり奥が深い言葉でした。
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