毎月お寺で坐禅をしていても天国へ旅立ちます

東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある保育園の園児は毎月坐禅体験にやって来てくれます。
先日23回目の体験を終えた園児にお釈迦様が亡くなった時の様子を描いた涅槃図【ねはんず】を見せながら話をしました。
私の中で今年は
お釈迦様が亡くなってみんなが悲しんだ
↓
悲しみのあまり気絶した御弟子様もいる
↓
この御弟子様もこの後周囲の人々に支えられ立ち上がる
↓
立ち上がった御弟子様は長い間お釈迦様の教えを聞き続け内容を覚えていたので、お釈迦様の教えをずっと伝えることができた。
↓
自分だけが悲しいと感じて、気絶している御弟子様を助けなかったら仏教の教えは伝わらなかった
↓
支え合っていくことも大切
と流れを考えていました。
そこで涅槃図の中の、気絶している御弟子様(アナンダ・アーナンダ)を見せながら
「ここで気絶して倒れてしまっている人は、この後どうなったと思いますか?」
と質問をして見ました。
「気がついて、みんなよりもたくさん泣いた」
「周りの人に助けられて元気になった」
などと答えが返ってくると予想していましたが、元気のある園児が大きな声で
「この人も亡くなった!!」
と言ったのです。
こうなると連想ゲームの始まりです。
園児達は質問に対する答えを考えるよりも、直前の発言と関連した言葉を発する傾向にありますので、他の園児も
「死んじゃった!」
「亡くなった!」
と続きます。
そしてその後は
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「天国に行った!!」
と続き、
「神様の所へ行った!!」
と園児達は結論付けました。
これはもちろん子供達の問題ではありません。
・・・お釈迦様の絵に描かれた御弟子様が天国の神様の所へ行く。
この回答は彼らに影響を与える全ての環境と習慣によって形成されています。
草葉の陰【くさばの かげ】という言葉はおろか、極楽といった仏教に関係する言葉が西洋の言葉に席巻されている現実を改めて突き付けられた気がします。
これまで守られてきた宗教行事や習慣には大切な教えが詰まっています。西洋文化を否定するつもりもありませんし、日本の文化や習慣だけが正しいとも思いません。
しかし私は、他の文化や習慣を学んだり取り入れる前に、今自分が生活をしている場所に残る文化や習慣を学ぶことが大切だと考えています。これらのことを学んだうえで外の世界を学ぶことが大切です。
ご先祖様を想い手を合わせ、そのご先祖様を見守る仏さまをお参りする。こういった習慣を身に付けていれば、あの答えは出ません。
毎月、彼らに話をすることができる機会がある私自身の力不足を感じると共に何を伝えるのかを見直す必要があると感じた出来事でした。
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