チュンダの供養と許すこと
お腹が痛くなったとき、「何か悪いものを食べたかな?」と考えることがよくあります。
そしてその後、「あ、あの時に食べた○○が悪いんだ!」と勝手に自分の中で結論を出してしまうこともあります。
さらに悪いことは、腹痛の本当の原因などは分かっていないにも関わらず、食材や提供してくださった相手を恨んでしまうことです・・・
作家の山本周五郎さんの言葉に
「許すということは難しいが もし許すとなったら限度はない。
ここまでは許すがここから先は許せない、という事があれば
それは初めから許してはいないのだ」
という言葉があります。
この言葉を聞くと お釈迦様が亡くなった際の逸話“チュンダの供養”を思い出します。

チュンダはお釈迦様がやってくることを知ると、お釈迦様に食事の供養をしたいと申し出ます。
お釈迦様はこの申し出を快く引き受け、チュンダの自宅で食事をいただきます。
ところが、食事を終えた後に腹痛をおこし、次の滞在場所でお釈迦様は亡くなってしまうのです。
誰もがチュンダの供養が原因でお釈迦様が亡くなったように感じてしまいます。
しかしお釈迦様は弟子のアーナンダに、チュンダの悪口を言うどころか、
「チュンダの行為は成道時の供養(スジャーターの乳粥)に匹敵するほどの功徳があり、チュンダを非難してはならない。」
と伝えるのです。
お釈迦様のこの姿こそが、徹底的に相手を許す姿なのだと感じます。
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