顔は分かる、でも名前が分からない・・・

様々な場面でよくお会いし顔も知っている。
隣になれば話す。
・・・だけど名前はおろかどこの誰で何をしている人なのか良く分かっていない。
しかし、向こうは自分のことを知っているようなので核心部分をごまかしながら適当に相槌を打つ。
誰もが経験することではないでしょうか。
・・・私も時々あります。
禅の言葉に
「相い逢うて相識らず、共に語りて名を知らず」
【あいおうて あいしらず ともにかたりて なをしらず】
という言葉があります。
言葉だけの意味を捉えようとすれば
「普段から会っているのにお互いに認識はなく、共に語り合っているのに相手の名前を知らない。」
という意味になります。
あれ!? 顔は知っているけど誰か分からない人に、適当に相槌をうっている私のこと??
もちろん、そんなダメな人間の姿が禅の教えを示す禅語として伝えられるはずもちろんはありません。
表面上のことにとらわれず、こだわりや妄想をすべて捨て切って、私達の中にある“本当の自分”と向き合いなさいと説いているのです。
顔を知っているけど誰か分からないときに、話しの内容から、その人の名前や肩書、自分との接点などを探ってはいけないのです。
やらねばいけないことは“相手のことを思い出さないと自分の立場が悪くなる”という自分の利益を優先するのではなく、名前や肩書といった上っ面のこと忘れて相手の話しをただ聞きひとつになることだと私は思います。
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