衣に頼っている未熟者
東光寺(静岡市清水区横砂)の墓地がある観音山での草刈りや竹を切るなどの整備を行うときには動きやすい服装で活動します。

※夏の作業着

※秋・冬・春の作業着
頭にはタオルまで巻いていますので、知らない人が見ても私が僧侶だとは誰も気がつきません。
お墓参りをしている檀家様に挨拶をしても、「誰だろう、この人は!?」と言った顔をされることが多くあります。
そんなとき、頭に巻いてあったタオルを取ると「あ、和尚さんだったの!!こんにちは!」挨拶を返してくれます。
いかに、私が普段から“見た目”に頼っているのを実感する瞬間です。
臨済禅師(臨済宗最初の和尚様)が弟子たちに教えを説く場面の記録が残っています。
様々な教えが残されていますが、その中に「衣に目をくれてはいけない。」と説いている部分があります。
衣は自分では動けない。人がその衣を着るのだ。
衣に様々な名前があるが、こんなものに実体のないのは明らかだ。
着ている衣だけに目を注いで、それを真実だと考えている。
そんなことでは、どんなに修行しても、衣の通になるだけの話だ。迷いの世界を堂々めぐりしているだけだ。
と臨済禅師は説いています。つまり、
「そんな外面ばかりに目をやるのではなく、衣を着ている人 そのもの、肩書をとっぱらった そのものを見なさい」
と説いているのです。
この教えに触れたとき、衣を着なければ僧侶だと気がついてもらえない私自身の未熟さを痛感させられました。
衣を脱いでも、その立ち居振る舞いで僧侶だと気がついてもらえるような人間になるべく修行を続けていこうと決心しています。