絵葉書法話31【法灯明】

絵葉書にある大般若の法要は仏教の教えを体感する行事とも言われています。
仏教の教えを体感することで自分自身の心が光り輝き、誰かの真っ暗な心の中を照らし救っています。
絵葉書【31】法灯明
突然、お寺にやってきた女性に水子供養を依頼されたことがありました。
供養が終わると女性は、お寺の前を通りがかったときにお地蔵様の前で手を合わせている人を見て「自分もお参りがしたい」と感じてお寺に飛び込んだと話してくれました。
お地蔵様に手を合わせていたその姿が、女性の真っ暗な心の中を一筋の光で照らし導いてくれた出来事だったと感じます。
※この話しの詳細はこちらの記事で紹介しています。
般若心経の中に 「無明」 や 「老死」 という言葉が出てきます。
少し難しい言葉になってしまいますが、この部分は 無明から始まり、老死まで続く十二因縁【じゅうにいんねん】(十二縁起)について書かれた部分です。
十二因縁とは、人々の苦悩とそれを取り除く方法を順序立てた考え方で仏教の基本的な考え方の1つです。
そして、この苦悩というものは、正しい教えに出会うことができない「無明」から始まって、老いて死んでゆく「老死」まで続きます。しかし般若心経では、無明から始まり老死にまでいたる悩みすら「空」だと説いています。
つまり、「これらの悩みにすらとらわれてはいけない!!」と説いているのです。
では、どうしたら悩みにとらわれずに生きていけるのでしょうか?悩みはどのように解決すれば良いのでしょうか?
お釈迦様は 自分が無くなる時に 教えを残しています。
それが 自灯明 ・ 法灯明です
自灯明は自らを拠り所にすること
法灯明は教えを拠り所にすることです。
絵葉書には
法灯明
法【真実の教え】を灯火とし 拠り所とする
教えのかなめは 心を修めることにある 心は人を仏にし、また畜生にする。 迷って鬼となり、 さとって仏と成る
と、紹介させていただいています。
「教え」とはお釈迦様の教えであります。
そしてこの「教え」はどこか遠い所にあるわけではありません。
絵葉書にある大般若の法要は仏教の教えを体感する行事とも言われています。
お寺で行われるどんな行事・法要にも仏教の教えが生き生きと流れています。
これらの法要に参加し共にお参りすることで自分自身の心が光り輝くと共に、お地蔵様に手を合わせていたその姿が、女性の真っ暗な心の中を一筋の光で照らすように誰かを救っているのです。
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