絵葉書法話34 【無所得】

空手にして、この世に来り、空手にして又帰る
私たちはもともと何も持たずにこの世に生まれ、そして生きる御縁が尽きれば何も持たずにあの世に帰っていく
絵葉書【34】無所得
しゃぼん玉が割れると中の空気は外の空気と一体となります。
しゃぼん玉の薄い膜によって中と外に区切られていましたが、膜が無くなれば外も中も関係ありません。
中の空気の方が尊い、外の空気の方が新鮮・・・
そんなことはありません。
中の空気も外の空気もまったく同じものなのです。
私達の“いのち”も同じです。
仏教では私達の“いのち”はそれぞれが単独で存在するのではなく、全てが繋がっていると説いています。
その大きな“いのち”を様々な言葉で表現をしますが、その中に「大いなるいのち」という言い方もあります。
私達は自分の“いのち”だと思っているものは大いなるいのちから飛び出した1滴の水のようなもので、やがては元の場所に戻っていきます。
これはしゃぼん玉の中の空気と同じではないでしょうか。
縁があってしゃぼん玉の中に入ったが、やがては元の場所に戻っていくのです。
まさに、
私たちはもともと何も持たずにこの世に生まれ、そして生きる御縁が尽きれば何も持たずにあの世に帰っていくことを表す
吾等もとより 空手にして、この世に来り、空手にして又帰る
の世界です。
はかなく割れるしゃぼん玉は「私達は何も持たずに生まれ、何も持たずに帰ってく。自分のものなど、何一つない。」と語り掛けます。
しかし、だからといって自分から膜を壊して割れるしゃぼん玉などありません。
その姿から、御縁に身を任せながらも精一杯にいのちを生かしきることの大切さを私達は学ばなくてはいけないのです。
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