絵葉書法話37【無罣礙】

花が咲き誇り、そこに蜂がやってきて無心に花粉を集めている。
以前なら見過ごしていた光景に感動するようになったのは、年齢のせいではなく純粋な気持ちを欲する私のよどんだ心の作用。
若い頃、美しい花が咲いていても「きれいだな」と思っても、それ以上は何も感じませんでした。
花に蜂が近づいても「あ、蜂がいる」と思ってもそれ以上は何も感じませんでした。
しかしこの頃は、花が咲きそこに蜂が無心に花粉を集めている姿を見ると理由は説明できないのですが感動を覚えるようになりました。
なぜがその光景をずっと見ていたいと感じるのです。
なぜ、そのように感じるのでしょうか。
般若心経というお経の中に無罣礙【むけいげ】という言葉が出てきます。
罣礙とは“網に引っかかって身動きが取れない状態”を意味しています。
つまり、心が前にも進めず後ろにも戻れない状態となっていることを示す言葉です。
そこに「無」を付けることで、無罣礙という言葉になり、
心にこだわるものが何もなく、自由自在な状態を意味しています。
自然の中で花が咲く姿、その花の花粉を無心に集める蜂の姿こそが無罣礙な姿だと感じます。
そして、幼い頃は誰しもが無罣礙の心で過ごしているのですが、普段の生活や経験から年齢を重ねると無罣礙を離れて損得やお金、地位や名誉といった心で物事を判断するようになってきます。
しかし、それが全て正しいとも思えず 幼い頃に剥き出しにしていた無罣礙の心をどこかで求めているのではないでしょうか。
だからこそ、以前なら見過ごしていた美しい光景に感動するようになったように感じています。
感動するということは、自分の心を修復したいという欲求の表れかもしれません。
確かに、美しい光景を見ることで自分自身のよどんだ心を調えることができるかもしれません。
ですが、いつでも美しい光景を見ることができるわけでありません。
では、美しい光景を見ることができないときにはどうしたら良いのか・・・
やはり、妙心寺派の教えである“生活信条”の初めの言葉である
一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう
に帰ってくるのではないでしょうか。
1日に1回くらいは姿勢を調え、呼吸を落ち着かせ、心を調える。
大切な教えだと感じます。
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