絵葉書法話38【平常心】

恐怖の材料は自分が持っている欲望。欲望という材料がなければ恐怖は生まれない。しかし欲望は普段の生活を送る中で力にもなるので取り扱いに注意する必要がある。
禅の言葉に平常心【びょうじょうしん】というものがあります。
日常・常日頃の心を平常心といいますが、常日頃の心とは、本能のまま、いつも通りのだらしなさではなく、真理のままにある状態を言います。
人間の本能には欲望が含まれています。
欲望があるからがんばれるということも事実です。
しかし、欲望をかなえるため、さらにかなえた欲望を失いたくないという思いが私達を苦しめることも事実です。
私は物理の問題を解くことが楽しくてしかたがない時期がありました。
難しそうな問題を見れば、楽しくなって時間を忘れて説いていました。
しかし、大学の物理学科へ進学すると様子が変わってきます。
それまではただ楽しくて問題を解いて来たのに、物理学科に入学したことによって進級し卒業することが目標になってしまったのです。
物理の問題を解きたいという欲望が、私を物理学科へと進級させる力になったのです。ところ物理学科という場所を得ると、その場所を失いたくないというさらなる欲望しばられ、いつの間にか問題を解くことが“ただ楽しい”ではなくなり苦しみに変わっていたのです。
このように欲に振り回されない心を禅宗では平常心と表現しているのです。
平常心とはなかなか難しいことではありますが、その心に近づくための様々な方法がすでに私達はいただいているのです。
例えば臨済宗妙心寺派の生活信条
一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう
も、そのひとつです。
あとは実践あるのみです!!
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