絵葉書法話 46 【無分別】

誰にでも 比較できない 美しさがある
無分別は一般的には軽率なことを意味しますが仏教では区別しない、こだわらないことを意味しています。
私達は普段「比較」をしがちですが、相手のことを知ろうとしたとき、誰かと比較するのではなく、相手そのものを見る"無分別"が大切です。
仏教で使う無分別【むふんべつ】は決して悪い言葉ではありません。むしろ、とっても良い言葉なのです。
一般的には軽率なことを意味しますが、仏教では物事を区別して考えないこと。つまり妄想を離れていることやこだわることが無い心を持つことなどを意味しています。
私達は普段の生活の中で「比較」をすることで物事を判断する傾向が強くあります。
去年はこれだけの種をまいたら、これだけ収穫でした。だったら今年はこれだけまこう。
これだけ練習をしたら、これだけの結果が出た。だから次の大会に向けてこれだけがんばろう。
比較をすることは大変便利なことですし、実生活を送る上では必要なことです。
しかし、相手を知るときに比較が必要なのでしょうか??
誰かと比較することで相手を見るのではなく、相手そのものを見ることが大切なのは、誰もが経験上理解をしていることなのではないでしょうか。
しかし、ついつい忘れてしまう・・・
1本の花を見れば「美しい」と感じるのに、2本の花を見たら「こっちの方がきれい」と比較を始めてしまいます。
だからこそ
誰にでも 比較できない 美しさがある
という無分別の心を思い出し、心を調えることで
ピンクのガーベラも美しいしオレンジのガーベラも美しい。どんな色のガーベラも美しいと感じ生活をしていくことができるのです。

無分別【むふんべつ】
一般的には軽率なことを意味するが、仏教では物事を区別して考えないこと、転じて妄想を離れていることを意味する。
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