絵葉書法話 52 【夢中夢】

夢中夢
夢の中で夢を見るように 人は悟りの中で悟ることができるという。
これは、仏が仏について説くことと同じである。
夢の中で夢を見て、悟りの中で悟り、仏となって仏について説くためには、自分自身が仏だと気がつく必要がある。
自分自身が仏だと気がつくことが難しいなら、相手を仏と思い拝むことから始めてみたい。
般若心経というお経の最後の部分に羯諦【ぎゃてい】という言葉があり、「行った者よ」と訳すことができます。
どこに行くのかと言えば、悟りの世界と言われるところです。
悟ったことがない私にとって難しい言葉です。
しかし「禅語」には悟りの世界を示す言葉があり、その一つが
夢中夢【むちゅうのゆめ】
です。漢字だけを見ると夢の中で夢を見ると読み取れますが、禅語としての意味は
悟りの中で悟りを説くこと
という意味があります。
これは、仏が仏について説くことと同じであり、そのためには自分自身が仏だと気がつく必要があります。
自分自身が仏だと気がつくことは大変難しいことですが、相手を仏と思い拝むことならできそうです。
拝む姿が仏様と昔から言われているように、相手のことを一心に思う姿、相手と一体になる姿こそが仏様の姿なのです。
坐禅というと警策【けいさく】という棒が持った和尚さんが見回りにきて姿勢が悪いと叩いていくというイメージがあるのではないでしょうか。
もちろん、集中していなかったり不用意に動けば叩かれるかもしれませんが、これが全てではありません。
叩く側だけが、叩くか叩かないかを判断し決定するわけではないのです。
実は叩かれる側が合掌をすることで「私を叩いてください」と合図を出すこともできます。
このとき、「私を叩いてください」と合掌して合図を出すと叩く側は、「叩かせていただきます」という気持ちで合掌をします。
叩く側もその気持ちをしっかりと受け止め、相手のことを想って手を合わせます。
このように、互いが互いを拝みあう姿が仏様の姿なのです。

夢中夢【むちゅうのゆめ】
夢の中の夢。仏教では悟りの中で悟りを説くこと、本来仏であるものが仏について説くことを意味する。
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