絵葉書法話 56 【われらと衆生と皆共に】

われらと衆生と皆共に
子供坐禅会でのお茶のひと時。
禅宗の作法を学んでお茶の準備をする。
言葉のいらない静寂の時間の中、入れる人と入れられる人、二人の気持ちがひとつになるとちょうど良い量が注がれる。
禅宗ではお茶を飲むまでにも様々な作法があります。
その中の1つに“合図”があります。
お茶を入れてもらう側は、入れてくれる人が入れやすいように湯呑を持ち、適量だと感じたときに少しだけ手を動かして合図を出します。
入れている人も合図を見てお茶を注ぐことを止めます。
こうすることによって、自分で入れたい量を入れてもらうことができるのです。
入れている人は入れられている人の手に注目し、入れられる人も集中をすることで2人が1つになる瞬間なのです。
日本一有名と言っても過言ではない般若心経というお経の最後の部分に薩婆訶【そわか】という言葉があります。
薩婆訶には成就するという意味があり、菩提薩婆訶は「悟りの道は成就された」と訳すことができます。
絵葉書には「われらと衆生と皆共に」
という言葉があります。これは
「願わくばこの功徳を以てあまねく一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」
という「普回向」の一部です。
「どうか、この功徳が、一切の仏様やすでに亡くなられた方、そして今を生きている人々に及んで、私達とみんなともに仏様の道を成就いたしましょう」
という願いであり、誓いの言葉です。
お経などをお唱えした功徳が、私だけではないすべての人に行き渡って、みんなが幸せになりますように、という思いが込められた祈りの言葉でもあります。
般若心経の最後に薩婆訶【そわか】、つまり「悟りの道は成就された」と出てきます。
普回向の最後にも「仏道を成ぜんことを」、つまり「仏様の道を成就いたしましょう」と出てきます。
しかし、それは決して自分1人で出来ることではありません。
「共に仏道を成ぜんこと」が大切です。
この姿こそが写真の2人のように、
お互いに「自分」を消し去って、ただただ相手のことを考えることで2人が一体となった姿も「共に仏道を成ぜんこと」であり、薩婆訶【そわか】、悟りの道が成就された姿のように感じます。

薩婆訶【そわか】
成就するという意味があり、般若心経の最後の部分“菩提薩婆訶”は「悟りの道は成就された」と訳すことができる
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