絵葉書法話 62 常楽我浄

理想の人になる
【常】慈しむ心は常に変わらない人
【楽】人を思いやることを楽しむ人
【我】人の為に尽くす我(私)を持つ人
【浄】浄らかな心を持つ人
そんな人に私はなりたい
そんな人に私はなることができる
そんな人に私はなる
仏教では、
私達は生まれながらに 仏様のような尊い心をいただいている
と説いています。そして、仏様のような尊い心とはどういったものなのかを見事にまとめた言葉があります。それが、
慈しむ心は常に変わらず
人を思いやることを楽しむ
人の為に尽くす本当の我は
浄らかな心を持つ
です。
もちろん この心は私達が好き勝手に生きていれば、心の奥深くに隠れてしまいます。
ですから、心を落ち着けて調えることで この心を実感することが大切です。
そして、この心を実感するための入り口となるのが写経や坐禅、そして読経といった昔から受け継がれた良い習慣なのではないでしょうか。

常楽我浄【じょうらくがじょう】
[1]仏教において否定されるべき4種の見解。無常であるのを常と見,苦であるのに楽と考え,無我であるのに我ありと考え,不浄なものを清浄と見なすこと。
[2]大乗仏教中では,如来が常住であり,涅槃は最高の楽であることを強調し,無常・苦・無我・不浄をさらに超える存在として,常・楽・我・浄を究極のものと見なした。
- 関連記事